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2010年9月14日火曜日

第九話:感想

いよいよ次回が最終回。
今回は夏樹と冴子を殺した犯人やJOKERの姿が明らかになっていく展開を、リズム良く楽しませてくれたと思う。
警察費内訳に記載されてしまう80億近い裏金といった「とんでも展開」はあったが、むしろここまで突き抜けているとリアリティの欠片もないぶんマンガ的でいい。

謎解きに尺を割いたぶん事件のストーリーラインは穴だらけだったが、直前で無理にストーリーの穴を埋めようとせず、敢えて役者のパワーに頼った点は正解だったと思う。
どの役者にも出来るものではないが、佐野史郎と梅沢昌代は見事にその穴を演技力で埋めてみせた。特に佐野史郎の安定感は素晴らしい。

視聴者にしてみれば「その点は描かれてなかったけど、きっとこの犯人だったらこういうことをしたんだよ」「きっとこのお母さんはこうだったんだよ」と想像を膨らませることでストーリーが胸にストンと落ちれば、消化不良感なく物語を楽しめるというもの。
冴子の弔い合戦としての意味しかなかった殺人事件に、あれだけの存在感を持たせることが出来たのは、佐野と梅沢のおかげだろう。

演出も役の心情をじっくり見せるところは見せていたし、アクションシーンの撮り方もよかった。
第三話や第六話のように複雑で繊細な心情をじっくり演出する回は今ひとつだったが、今回のようにガンガン話が進んでいく回では悪くない。


さて、今回ラストに久遠が刺されてしまったが、久遠を刺したのは一体誰なのかを含めて、最終回に向けて予想をしてみようと思う。

現段階では怪しいのは三上の井筒の2人に絞られたと言っていい。
夏樹・冴子・久遠を刺したのが同一犯なら犯人は三上だろう。
しかし、もしかすると三上と井筒は実は繋がっているのかもしれない。

現在、夏樹と冴子を殺した犯人を知っているのは久遠だけである。
冴子殺害現場に残されたDNAを警官DNAデータベースと照合させた結果、現場にいた捜査員以外のDNAは検出されなかった。しかし久遠はその警官DNAデータベースにからくりがあることに気づき、あすかに「お兄さんと冴子さんを殺した犯人がわかるかもしれない」と伝えている。

井筒は現場に現れているのでデータベースを細工する必要はない。井筒の言うとおり「現場検証の時に警官が毛髪や唾液を残してもおかしくない」。つまり、現場検証にはいなかった誰かのDNAが、現場検証にいた捜査官の誰かのものとして認識されてしまったのだ。
ではデータベースに細工を施して誤魔化したのはいったい誰のDNAだったのか?
おそらくは三上のものだろう。

今回、急に「警視庁」の伏線が登場したが、「警視庁」というのは「東京都」を管轄する警察本部のことで、「神奈川県警察本部」が「神奈川県」を管轄するのと同列の組織である。
細かく言えば、管区下か直下かという違いはあるが、都道府県に属する警察組織であることに変わりはない。

このドラマでは今まで明確に警視庁の人間として登場したキャラクターはいなかった。
しかしながら三上は刑事時代に「井筒とは現場でよく顔を合わせた」と話しているだけで、神奈川県警とも何とも言っていない。
ドラマで刑事時代の三上が登場したシーン追って見ると、神奈川県警察本部で伊達と会ったときに応接室を使っているのがわかる。神奈川県警本部同士や所轄の人間であれば応接室は使わない。
つまり三上刑事は神奈川県警から見たら外部の人間ということだ。

東京都に属する「警視庁」と神奈川県に属する「神奈川県警」の警察官は、国家公務員であるキャリア組を除き、採用試験からして全く別である。
井筒は最初の設定でノンキャリアの叩き上げであることが判っている。つまり地方公務員だ。
三上がキャリアであれノンキャリアであれ「警視庁」もしくは「警察庁」所属の刑事なら、ノンキャリアの地方公務員である井筒とは、たとえ同じ年齢であっても研修所などで一緒になることはほぼない。
管轄の違う組織に属している井筒と三上が、現場で顔を合わせるとしたら、広域捜査しかない。

隣り合う東京都と神奈川県では都県をまたいだ犯罪がよく発生する。
伊達の両親が横須賀で殺された事件も、それまでに犯人の灘木が繰り返していた事件が既に広域捜査の対象となっていたのだろう。
広域捜査に参加していたのであれば、三上のDNA情報も、神奈川県警の警官DNAデータベースに登録されているはずだ。

久遠は「618932」という試料と、冴子殺害現場で採取された試料「2010/08/26 618933-20 毛髪」の、DNA型鑑定と一致判定を科捜研に依頼した。
DNAデータベースのからくりによって合致すべきでないDNAが合致してしまったのだとしたら、からくりを証明するためには「合致しない」ことを期待する試料を鑑定に出したはずだ。
それを証明するように同封されていた「DNA鑑定報告書」のDNA型は一致していない。
そして鑑定書の鑑定結果には「鑑定試料のDNA型の鑑定結果は、元警視庁」(以下不明)と記載されてある。久遠はその記載を見て言葉を失った。
DNAが登録されていて、元警視庁の可能性がある、久遠がよく知る人物。おそらくそこに書いてあったのは三上の名前だったのだろう。

闇の制裁人の仲間になってから、久遠は三上のことを慕っていた。
伊達に助けてもらうまで他人と距離を置いていた久遠にとって、慕っていた三上が旧知の冴子を殺したと知れば相当なショックだろう。
久遠はすぐに伊達に連絡を取ろうとしたが、直前でそれを思いとどまっている。
伊達が恩人と慕う三上が親友と元恋人を殺したと知ったら、伊達は久遠以上のショックを受けるに違いない。久遠は誰にも言わず三上を尾行して、三上の真意を聞くつもりだったのだろう。

久遠が尾行をするために車を停めていた場所は神奈川県警の近くである。
実際には万国橋だが、県警付近をイメージしているシーンと考えていいだろう。
しかし三上のバーが県警の近くにあるという可能性も十分にある。

久遠が尾行した男がもし井筒だったら、久遠はサバイバルナイフを拾うために背を向けたりはしなかっただろう。
捜査一課長としての井筒は知っていても、それ以外の井筒の顔を久遠が知っているとは思えない。そんな相手に久遠があれほど隙を見せるとは考えられない。
おそらく久遠は、サバイバルナイフを落として気を削がれたはずの相手が、更に本気で自分を殺しにかかるとは思っていなかったのだろう。
久遠がそんな風に思う相手は、伊達か三上かあすかくらいなものだ。
その時間伊達は「闇の制裁」に出掛けているから犯人ではない。現場にいたあすかも当然違う。

演じている役者が違う可能性はあるが、久遠を刺した男は久遠より背が高い。
男が久遠に覆いかぶさるようにして刺している姿を見て、第四話や第五話で久遠に覆いかぶさるようにして脅しを掛けていた三上にダブった。体格差はちょうどあの程度だ。


夏樹・冴子・久遠を刺したのが三上だとして、なぜ井筒と三上が繋がっていると思うのか?
最も気になったのは警視庁での井筒の態度だ。

井筒はあすかと自分の会話が他の誰かに見られていることを知っていた。屋上ではその者と視線を合わせさえしている。
夏樹のCD-ROMの情報を考えれば、警視庁が敵の本丸である可能性は高い。そんなところで「警察に裏切られた」だの何だの話すこと自体が不自然だ。
加えて井筒は、今CD-ROMを持っているのがあすかであることを、その場で確認している。誰が聞いているかわからない場所で、そんなことを聞くのはおかしい。

巨額の不明金が動き始めたのは2003年4月。UNDERGROUND Vの13人のうち最も退官が早かった者の退官年月は、その1ヶ月前の2003年3月。怪しい動きはこの頃から始まっている。(余談だが警視庁に地下5階があるという話は都市伝説となっている)
神隠しが始まったのは2005年の12月頃。当時の実行犯の三上は、日向光明と吉住武徳の父親も裁いている。

そして2007年頃から三上と井筒は会話をしなくなった。
その理由は「おまえ、定年前に俺が警察辞めたこと、根に持ってんのか?」「そんなに心の狭い男じゃないよ、俺は。…ただ今更パクられたくないだけだよ」という会話に隠されているような気がする。

2007年といえば伊達が灘木を裁いて「闇の制裁人」になった年だ。
そのとき三上はまだ刑事だったから、井筒と口をきかなくなったのはその後だろう。
口をきかなくなった訳は三上が定年前に警察を辞めたことに腹を立てたからだろうか?
もしかしたら何かを探られないようにあえて距離を置いたのではないだろうか?

夏樹のCD-ROMのSheet3には「闇の制裁」の島流しの場所らしきデータが打ち込まれていた。緯度34.633208、経度139.759827。大島沖東南東約40kmの地点である。
おそらくJOKERとは法に裁かれなかった者を秘密裏に裁く組織で、その資金として巨額の裏金が動いていたのだろう。

ここからは全くの想像だ。
妻子を殺された三上は組織の「実行犯」役として2005年には既にJOKERの仲間になっており、JOKERに辿りついてしまった井筒と夏樹に警告をした。命の危険を感じた井筒はJOKERに寝返り、夏樹にも追うのを止めさせると約束するが失敗し、夏樹は三上によって殺害され、井筒も罪を着せられそうになる。
三上は「法で裁けなかった者を裁く」というJOKERの活動に賛同はしているものの、裁くことに痛みを感じないJOKERの在り方は違うと感じていた。
井筒も三上もJOKERの駒として働くが、2007年に伊達を仲間に入れたことをきっかけに三上は警察を退職して「闇の制裁」に専念。警察内に残った井筒はいい加減な中間管理職を装いながら「情報屋」として活動、三上にも裏で情報を流していた。
というストーリーはどうだろうか?いかにもありそうではないか?

井筒が「情報屋」であれば、第四話で冴子が「椎名高弘も神隠しにあう可能性があります」と言った途端にどこかに消え、そのせいで冴子は椎名の神隠しに間に合わなかったことも、井筒が「CD-ROMを持っているのは冴子」と知った直後に冴子が殺されたことも、「CD-ROMを持っているのはあすか」と知った直後にあすかが狙われたことも、警視庁で誰かが見ているのを承知の上であんな話をしたのも、すべて納得がいく。

一方三上にとっては、人を裁く痛みを知っている伊達は、理想的な「闇の制裁人」だったろう。「法から逃れた者を裁く」という活動を絶やさないためには、阻害要因である冴子やあすかを始末することも止むを得ない。仲間として評価しつつあった久遠が真実に辿りついてしまったのは、三上にとっては計算外だった。というところではないだろうか?

最終回でJOKERの全貌が明らかになり結末を迎えるには、15分延長程度では足りないだろう。おそらく続篇かSPが予定されていると思われる。
海外のドラマのように衝撃的なシーンでクリフハンガーだけは勘弁だ。

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2010年8月31日火曜日

第七話:感想

いつもとは違った展開だったが、テンポもよく悪くない出来だったと思う。

ゲストの忍成修吾の快楽殺人者としての狂気、尾野真千子の愚かにすら映る遺族の怒り、飯田基祐の二重人格ぶり、どれをとっても迫力・空気感とも素晴らしかった。
山中崇、水野智則も、忍成・尾野・飯田らに比べると「演技をしてる感」があったが、全体のバランスとしては悪くなかった。遠藤要もああいう役をやらせると本当に上手い。

りょうも「私そんなに強くないんだけどな」というセリフのあと、伊達に背中を向けて歩き出すときの表情が実に素晴らしく、冴子という女性と伊達との関係を見事に表現していた。りょうの本領発揮だ。
演出も役者の演技をしっかり見せてくれる上に、それをクドくなく活かすリズムとグルーヴ感があって、このドラマによく合っていた。

脚本は前回同様にやや帳尻合わせな説明セリフが目についた。
これまでの久遠を考えると「法の裁きに関係なく人を殺すなんて許せねえ」と憤るのはあまりにも唐突で無理があるし、久遠部屋で語ったあすかの思いも長セリフで一挙に片付けてしまうのは見せ方として稚拙だ。久遠の「俺はあんたに救われた」も座りの悪いセリフだった。

これは脚本のト書きではなく演出のせいかもしれないが、闇の制裁のシーンでの伊達が余裕がなさすぎるのにも違和感があった。
日向の言葉も美代子の言葉も伊達にとっては迫るものがある言葉だろうが、闇の制裁人という仕事をしてきた中で、考えて来なかった言葉という訳ではないだろう。むしろ幾度となく自分に問いかけ続けてきた言葉なのではないだろうか。
今回、それでいきなり伊達から余裕が奪われてしまうには、きっかけが弱すぎる。
であれば、これまで堺がポーカーフェイスの下の伊達の感情を丁寧に演じてきたように、今回もあくまでポーカーフェイスの下で大きく揺れる感情を演じさせたほうが伊達らしくて良かっただろう。

そうでなければ、前回の久遠の件が伊達の心に変化をもたらせたとして、久遠と伊達のシーンを追加し、伊達の感情を描くという手もあった。
伊達は、文弥を殺された怒りで我を失っている久遠に、「憶測で人を裁けばそれはただの犯罪者だ。君が憎んできた奴らと何も変わらない」「法で裁ける人間は法で償わせるんだ。俺達がやってるのは復讐じゃない」と窘めた。
しかし伊達自身は自分がしていることに迷いはなかったのだろうか?

偉そうに久遠に言ったものの自分はどうだ?犯罪者と同じじゃないのか?復讐じゃないと言ったが、じゃあ復讐とどこが違うんだ?と、伊達は内心自問自答していたとする。
一方その隣では、久遠が伊達の言葉をまっすぐ受け止めて、俺達がしてることは犯罪者とは違うんだ、文弥の父親を殺したいと思った俺は間違ってたんだ、と少しづつ自分の中で消化し始めている。
伊達は闇の仕事で久遠が何かを見失ってしまわないよう見守ろうとしている。なのにその自分が迷っている…。そのことがきっかけとなって、日向や美代子の言葉に大きく揺れてしまった、というのであれば話はわかりやすかった。


伊達のしていることと、日向のしていることだが、基本的には変わらない。

伊達は第三話で久遠に「法で裁けない者を裁く。もちろん決して許されることじゃない」と言っている。また日向は今回「立件出来ない容疑者を始末する。間違いなく犯罪者です」と言っている。
もちろんその通りである。

真面目に解説すると、日本は多くの欧米諸国同様に「自由民主主義国家」な訳で、ざっくり言ってしまうと、日本国民は「公共の福祉に反していない限り、どう生きるかという個人の自由は最大限尊重される」ということと、「国民全てが等しく主権者であり、国の政治は国民が行う」ということが憲法によって保障されている。

で、日本ではこの「自由民主主義国家」であることを根拠に、「罪刑法定主義」という形をとっている。
「罪刑法定主義」というのは、「”刑法上”何が犯罪」で「どんなときにどんな刑罰が科せられるのか」については、あらかじめ法律で定めておかなければならない、という考え方だ。

何が犯罪でどんなときにどんな刑罰を受けるのかを、誰かが好き勝手に決めてたら、とてもじゃないけど自由になんて生きられない。
日本の主権者は国民なんだから、国民の代表機関である国会を通じてちゃんと法律にしときましょうや、ということである。

現代日本では、その法律に則って「無罪」か「有罪」か「有罪ならどのような罪でどれくらいの刑罰か」を判断出来る(裁判権を持つ)のは、「国家」のみだ。話題の裁判員制度も「国家の裁判権の行使」に参加する制度とされている。

裁判で決まった刑罰を科すことが出来る(刑罰権を持つ)のも「国家」のみ。
国家によって刑罰権の行使を委ねられた刑務官など以外は、例え遺族であっても刑罰の執行は認められていない。

武士階級の仇討ち法があった江戸時代と違って、現代の刑罰は「復讐」ではない。
他人の「法益」(生命、身体、自由、名誉、財産、平穏、など)を奪った罪に対して、その罪の重さに応じた「法益」を、「償い」として「国家」が奪うことが刑罰であり、刑罰には「再犯予防」や「犯罪の抑止」という目的もある。

当然のことながら、伊達や日向のように裁判権も刑罰権もない人間が、何人もの人間を自分勝手に制裁するなんてのは、とんでもない重罪にあたる。
殺していようが殺さずに死ぬまで監禁だろうが、法を無視して残酷な私刑を繰り返していることに何ら変わりはない。もはやそれは「刑罰」でも「復讐」ですらない。
そのことを理解しているからこそ、伊達は日向の煽りに理路整然と言い返すことが出来なかった。

闇の制裁人という許されざる行為をしている伊達だが、しかし彼は真っ当な感覚を失ってはいない。

「たとえ法で裁けなくても真実を明らかにすることが俺達の仕事」と教えてくれた井筒に憧れ、刑事としての己の感覚を信じて粘り強く捜査を続け、凶悪犯人に対してもその中に残っているかもしれない良心に期待して自首を望む。
必死で助けを求める久遠を救ってやりたい一心で仲間にしたものの、こんな許されざる行為に久遠を巻き込んでしまったことに後悔もしている。

むしろ感覚が狂っているのは三上だ。

妻と10歳の息子を殺された三上は、両親を殺され犯人を刺してしまった10歳の伊達に、亡き息子への愛情のはけ口を見つけた。
状況から考えても幼い伊達に重い罰が科せられる可能性は殆どなかった。きちんと罪を明らかにして判決を受ければ、伊達も人を刺してしまったという罪の意識を自分なりに消化することも出来ただろう。
しかし三上は、どのような手を使ったのか、伊達の罪自体をないものにしてしまった。

伊達は両親を殺した灘木を「憎しみ」から「殺すつもりで」刺した。
結果的に灘木は一命を取り留めたが、確かに伊達は灘木に強い殺意を抱いていたのである。両親を助けたい一心で正当防衛として灘木を刺したのではない。
灘木の言った「正義なんて通用しない。悪を倒したかったら悪になるしかない」という呪詛の言葉通りに、伊達は灘木を殺そうとしたのだ。

伊達がもう少し愚かで、自分が灘木を刺した意味に気づかなければ、伊達は三上が望んだように自分の罪を忘れてしまうことが出来たかもしれない。
しかし「自分は普通じゃない」と苦しんでしまう伊達にとっては、きちんと罰を受けることこそが救いであった筈だ。
そんな伊達が、心に深い葛藤を抱えたまま、少しでも前を向いて生きようと決めたのは、たとえ間違っていても自分への愛情を惜しまない三上のためだったのではないだろうか。

伊達が三上に心から感謝をしていることに疑う余地はない。
本心を隠した表情の下には、冷静に三上を見ている目も、三上を実の父親のように深く愛する気持ちもあるだろう。そして恐らく後者のほうが強い。
闇の制裁人になった経緯に三上がどのように関わっているかはわからない。
しかし三上がそれを正義と信じ真剣に伊達の助けを必要としていたら、それが必ずしも正義であると割り切れなくても、それが三上の中に巣食う悲しみに由来するものなら、伊達は三上のそばで三上が暴走しないように見守る道を選ぶだろう。

一方で伊達は久遠に対しては、過去の痛みを正しく乗り越えて欲しいと思っている。
理解して手を差し伸べてくれる大人が必要なら、伊達は久遠のそばで望むだけその役を負ってくれるだろう。家族の愛情を知らない久遠のためなら父にも兄にもなるだろう。
しかし伊達は自分の間違った愛情で久遠の成長を歪めたりはしない。
久遠の進む道を良かれという思いで勝手に決めることはない。辛くても苦しくても自分自身で正しい答えを掴んで欲しいと思っている。

第六話で久遠が文弥に自分を投影して冷静さを失っていたとき、伊達は久遠に冷静で客観的な目を取り戻すよう導いていた。その一方で文弥を助けたい久遠の気持ちを汲んで、文弥と久遠が救われるために単独で捜査にも当たった。
久遠の苦しみの深さを知る伊達にとって、文弥を殺された久遠の慟哭には心を揺さぶられただろう。久遠の無念をどうにかして果たしてやりたい気持ちだってあったに違いない。

しかし伊達は、かつて三上が自分の罪を揉み消してしまったような間違った愛情を、久遠に押し付けたりはしなかった。
久遠の心が怒りに雁字搦めにならないよう第三者の視点と正論を与えながら、久遠が自分の手で自分自身の答えを掴みとることを見守る道を選んだ。
そして出来れば憎しみや悲しみからでなく、暖かい思い出を支えに前を向いて欲しいと願っていた。
伊達は自分の感情に流されることなく大人として責任を持って久遠を導こうとしている。
それは三上が伊達にかけた愛情とはある意味対照的なものかもしれない。

伊達は三上の「おまえは悪くない。おまえが刺してなければ灘木は逃げ延びて誰かを殺してた。おまえは正義のために戦っただけだ」「俺達は楽しんでやってるワケじゃねえ、むしろ逆だ。それでもやっているのは…遺族の明日を祈ってるからだ」という言葉に何を感じただろう?
灘木は確かに人間のクズだったが、将来また人を殺すに決まってるから今殺したって正義という理屈は成り立たない。どんなに遺族の明日を願っていようが、辛い思いを感じているから許されて、快楽を感じているから許されない、というような話でもない。

伊達は三上よりもはるかにありのままを理解していた。だからこそ伊達は限界だったのかもしれない。闇の制裁を辛く感じていることを一目で久遠に見抜かれてしまうほど、伊達は疲れ切っていた。
「俺は伊達さんに救われた」という久遠の不器用な励ましが、今度は伊達を救うのだろうか。それとも自ら乗り越えていくのだろうか。第八話以降に期待だ。


さて、そろそろ佳境に入ってきた夏樹殺しの犯人探しとジョーカーの黒幕だが、ここで予想を立ててみようと思う。

まず、冴子が疑っているように、神隠しには警察内部が関わっている。
それが「当たり」であることは井筒が冴子を遠ざけようとする態度でも明らかだ。
そしてその警察内部の権力は、凶悪犯を無期禁錮刑に処せるだけの資金を持ち、首を突っ込んでくる人間を殺してしまうほどの凶暴性を持っている。

夏樹を殺したのも三上の言うように警察内部の犯行だろう。
伊達が違和感を感じるほど、警察中で井筒を犯人に仕立て上げようとする動きがあったなら、井筒は夏樹殺しの犯人ではなく、犯人に疎まれている人間と考えるのが自然だ。

おそらく井筒はその警察内部の秘密を知ってしまった人間だろう。
上手く牙を隠すことで自分は危険から逃れられたが、同じく何かを知ってしまった夏樹を守ることは出来なかった。
夏樹の携帯電話を持ち去ったのも、他の誰かが不用意に首を突っ込んで消されてしまうことがないように、それに関わる情報を削除したのだとも想像できる。

今回井筒は冴子に「夏樹を殺したのは俺だ」と告白したが、それも、そうでも言わなければ冴子が更に深入りしていくことは目に見えていたからだろう。それは冴子に命の危険が及ぶことに繋がる。
伊達への忠告も功を奏しなかった以上、冴子を守りたければ、井筒は「自分がやった」と言う以外にはなかっただろう。

一方、三上は伊達同様に「神隠しの実行犯の一人」として警察内部権力に繋がっている人間だ。

伊達が黒幕である警察内部権力についてどの程度把握しているのかはわからないが、もしこの警察内部組織が夏樹を殺した警察内部の人間と同一であるのなら、伊達は夏樹を殺した犯人の仲間ということになる。
井筒は、文弥の事件の際に久遠を泳がせたことで、現在、三上・伊達・久遠の3人が神隠しの実行犯であることを掴んだだろう。
自分のアリバイ資料を署で渡さずに、わざわざ「バーMikami」にまで持ってきたのは、三上に対する何らかの牽制と思われる。

今のところ黒幕である警察内部権力側のキャラクターは登場していない。
伏線として上っているのは、井筒が第一話で「殺してやりたい人間」として挙げた「刑事部長」くらいなのものだ。
おそらくはこの刑事部長が新キャラクターとしてこれから登場してくるのだろう。
10歳の伊達の罪をもみ消すために三上に協力したのも、もしかするとこの刑事部長かもしれない。

夏樹殺しと神隠し。この過去軸に関係するのは、井筒、あすか、冴子、三上、伊達。
ドラマのキーパーソンの一人である久遠の過去にはこれら2つとの接点がない。
4歳から虐待を受け続け、10歳で捨てられ、以降の生い立ちは不明な久遠が、夏樹殺害や神隠し発生の過去と何らか繋がっていくのか、それにも興味がある。

もし刑事部長が登場するとしたら、久遠と関係があるかもしれない。
久遠の父が息子の年齢の割には年齢を取っていることから、本当の父親ではないという可能性もある。背中の火傷はタバコの火によるものだけがあの父親が行ったもので、大きな火傷痕はもっと子供の頃に火事か何かで負ったものである可能性もある。
エンディングの久遠の背中に被る「一家惨殺」の新聞記事は、もしかすると刑事部長の家族の話で、赤ん坊だった久遠は幸い生き残り、証拠隠滅のための放火によって火傷は負ったものの、密かに助けられて久遠家で育てられていたという展開もあるかもしれない。

ドラマもいよいよ残すところ数回、息切れせず最後まで突っ走って、我々視聴者を楽しませて欲しい。


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2010年8月25日水曜日

第六話:感想

いつか来るだろうと思っていたストーリーだった。話数は想像していたより早かったが、伊達たちの仕事が何であるかを再定義するためには重要な回だった思う。視聴率も前回の出来を見てどうかと思っていたが上げてきた。固定ファンがしっかり付いているようだ。
ただ脚本はプロットをそのままセリフにしたような出来であまり良くない。この脚本家であればもう少しプロットを整理して、役者の演技を活かす緩急をつけたいいシーンとセリフを生み出せる筈だ。練って推敲するだけの時間が取れないのか脚本に疲れが見えるのが残念だ。

構成に関しても今回は盛り込むべき内容が多くあった。しかし尺は変わらない。
であればプロット全てを無理矢理組み込むのではなく思い切ってバッサリ切って、伝えたいことだけを丁寧に描くほうが作品の質は保たれた。

演出もテンポが悪く、脚本の冗長さと相まって、散漫な印象を受けた。
それを補うようにBGMを多用していたが、俳優がきちんと良い演技をしているのにBGMで状況を説明しようとするのはどうにもクドい。
久遠の暴走を目の当たりにした捜査一課や鑑識の面々が、それこそ役名なしの俳優も含めて、それぞれの役の気持ちを伝えるいい演技をしていたのに、そこをガヤ扱いにしてしまったのも大変残念だった。
久遠と文弥のキャッチボールのシーンも、2人に会話させればいいところを、なぜアフレコにしたのか全く意味不明だ。

一方で久遠とあすかのシーンや、来栖と冴子のシーンなど、男女2人のシーンではいい雰囲気の絵が見れた。シーズン後半に向けて色っぽい展開かあるかどうかわからないが、あっても面白い。
文弥の転落現場に到着した伊達たちをすり抜けるように久遠が走っていったシーンも、赤いアロハの残像が鮮烈な印象を残す良いシーンだった。
久遠が文弥の頬を摘むシーンも、遺体になったときだけ摘み方を微妙に変えることで、それが死体であることを伝える絶妙な演出だった。

俳優陣については相変わらず上手い。
ゲストの高杉亘は「ダメな父親から戻れなくなってしまった弱い男」を実に巧みに演じていた。錦戸の少年時代を演じるのは「流星の絆」に次いで2回目の嘉数一星も、独特の存在感で久遠の過酷な過去を鮮烈に印象づけた。
文弥役の渡邊甚平、まお役の佐々木麻緒も、ポテンシャルの高さを強く感じる子役だったし、綾田俊樹は相変わらずのイイ味だ。螢雪次朗の演技の幅にも驚かされる。

文弥の遺体を前にした錦戸の演技も素晴らしかったし、堺の「ばかやろう」も堺にしか出来ない複雑で繊細な演技だった。鹿賀については全く申し分ない。
平山とりょうの相性も予想外にいいし、錦戸と杏のケミストリーも現れてきている。土屋も堀田と久遠の間の微妙な感情を堀田らしく丁寧に演じている。とてもいい俳優だ。
永岡、佐伯、井上、鈴木もそれぞれキャラクターを確立してきていて見ていて楽しいし、捜査一課の役名なしの俳優たちも存在感のある良い仕事をしている。

ただ気になったのは錦戸のアフレコだ。
表情ひとつで鳥肌が立つような見事な演技をしてみせるくせに、アフレコとなったら学芸会レベルにまで落ちてしまう。もう少し落ち着いてゆっくり喋るようにしたほうがいい。

ストーリーについては今回初めて闇の制裁を受けずに法で裁かれる犯人が登場した。それはそれで正解だったと思う。

視聴者のカタルシスは「闇の制裁」によってしか得られないという訳ではない。
受けるべき罰から逃げた者に「応報の罰」が与えられるシーンが見れれば、それで視聴者はカタルシスを得ることが出来る。
その「応報の罰」は当然「法による裁き」であっていいし、「犯罪を立証した上での告発」でも構わない。ドラマらしく「悪人が自ら墓穴を掘って大恥をかく」的なものでもいいだろう。それこそ闇の裁きは3回に1回でも構わない。
穴だらけのプロットで無理矢理に「闇の制裁」に持ち込むほうが、逆にフラストレーションが溜まるというものだ。

今回伊達は「自分たちのしていることは復讐ではない」と言い切った。
もっとも今までの話を見ていると「第三者による恣意的な復讐(私刑)」にしか見えないので、説明セリフで帳尻合わせをしている感は否めない。
では「復讐」でないなら何であるべきなのか?それについては次回書きたいと思う。


事件のストーリーラインについては、久遠の過去に大きく触れるものだった。

このドラマでは「遺族の心の傷を癒すのは被害者との暖かい思い出と、遺族の心を思いやる第三者の理解である」というメッセージを発している。
第一話で幼い息子を殺された両親も、第二話で母を失った息子夫婦も、第三話の孝行娘を失った母親も、第四話の一人娘を逆恨みで殺された父親も、第五話の夫を自殺に追い込まれた妻も、失った家族が自分たちを愛してくれていたという事実に気づいて、悲しみを乗り越えようとしていた。
第六話の今回、その遺族の立場になったのは久遠だった。

父親からの虐待と捨てられたという痛みから抜け出せずに、苦しみ続けている久遠にとって、第三話の被害者・晴香や今回の文弥の痛みは、まるで自分のことのように感じられただろう。
もし久遠が伊達のように「誰かからの救いの手」によって苦しみから救い上げてもらっていたなら「親にすら虐待されてしまう自分」を受け入れることが出来たかもしれない。
しかし久遠は誰からも救い上げられることなく、どれだけ我慢してもそばにいたかった父親にすら、結局は捨てられてしまった。

4歳で母を失ってから虐待を受け続けていた久遠には、母親の記憶も、普通の子供が持っている暖かくて他愛ない日々の記憶すらもないだろう。
あるのは一度だけ父親に連れて行って貰った海の記憶と、母親の形見であるカメオのブローチが連想させる母親のイメージくらいなもので、文弥が必死で取り戻そうとしていた「優しかった以前の父親」も持ってはいない。
幸せだった時代の記憶があれば「いつかあの頃に戻れるかもしれない」と希望も持てる。しかしそれすらもないとなれば、虐待される理由を「自分」か「相手」に求めるしかなくなる。

親から暴力を受けている子供の殆どは「親は悪くない」「暴力を振るわれてしまう自分が悪い」と思い込む。
虐待される理由を「自分」に求めて、「愛されていない」のではなく「悪いことをしているから叱られているだけ」だと考えるのだ。
「父親は悪くない」と言った文弥を理解していた久遠もまた「父親に虐待されるのは自分が何か悪いことをしているのだ」と思っていただろう。

しかし大人になれば「虐待された自分」が悪いのではなく「虐待した親」のほうが悪いのだと理解るようになる。
それは同時に「ただ単に自分が親に愛されなかっただけ」という現実を目の当たりにすることにも繋がる。
どんなに酷い虐待の痛みよりも、この「どれだけ耐えても愛されなかった」という現実のほうが、はるかに深く久遠を傷つけただろう。
その行き場のない怒りと悲しみが久遠健志という男を形作っている。

親に愛されなかった自分自身を受け入れて愛してくれる他の誰かを探すでもなく、誰かに自分を分かってもらおうとするでもなく、自分を閉ざして「はみ出し者のチャラ男」の仮面をしっかりと被ってしまった久遠に、救いの道など残っている筈がない。
鑑識員として物証を掴み犯罪を暴く仕事は、久遠に「正義」という寄る辺を与えただろうが、同時に限界も見せたことだろう。

第三話、第六話と、久遠は犯人に銃口を向けた。
その先に見ていたのは憎い父親の姿だったのだろうか?おそらくそうではない。
久遠が消してしまいたかったのは「どれだけ耐えても愛されずいとも簡単に捨てられてしまった自分自身」、壊してしまいたかったのは「そこから抜け出すことが出来ない自分自身」だろう。

もし久遠が伊達という理解者を得なかったら、久遠は自分自身を受け入れることも、行き場のない怒りと悲しみを消化することも出来ないままに、独りよがりな「正義」に身を任せてしまったかもしれない。
堕ちることで自分を壊してしまっていたかもしれない。

何がなんでも守ろうと思っていた文弥を殺されてしまった久遠は、今回、文弥の実質上の遺族だった。
「遺族の心の傷を癒すのは被害者との暖かい思い出と、遺族の心を思いやる第三者の理解である」というドラマのメッセージの通り、久遠は文弥からの最後のメールで、ただ耐えるだけでなく抜けだそうとする勇気を受け取った。
文弥は殺されてしまったが、文弥との暖かい思い出は久遠の心の中に確かに残った。
そしてそんな久遠の心を理解してくれる伊達や三上もいる。
悲しみはそう簡単に癒えなくても、いつか時間が「苦しさ」を「憎しみではない何か」に変えてくれるだろう。

今回面白かったのはこの後だ。

文弥の父・広之が犯行を認め謝罪したのを見届けた久遠は、文弥と伊達からもらった勇気を胸に実の父親に会いに行った。
15年ぶりにあった父は、一度だけ連れていった海のことも、久遠がその絵を描き続けていたことも覚えていた。幼い久遠が描いていたのと同じ絵を一心に描いている父親の姿を見た久遠は、再び父親からの愛情を期待しただろう。
見ているこちらも「愛されていなかったわけじゃない」というオチになるのかと思っていた。

ところがボケ気味の父親は久遠が誰だか判らず、虐待して捨てた息子に向かって「どなたですか?」と穏やかに微笑んでみせた。
このときの久遠の気持ちは察するに余りある。勇気を振り絞って父親に会いに行ってみれば父親は息子のことすら判らない。しかも自分には微笑みかけてくれなかった父が、見も知らぬ人間には柔らかく微笑んでみせるのだ。
結局また久遠の気持ちは置いてけぼりにされてしまった。

そんな久遠を慰めたのは伊達でも三上でもなくあすかだった。
あすかは久遠が虐待されていたことも父親に会いに行ったことも知らない。ただ久遠が落ち込んでいるのはわかるから、何も言わずにそばにいようとしている。
文弥のそばに久遠がいようとしたように、久遠のそばにもまた、あすかがいようとしてくれる。

父親に捨てられたあとの久遠がどのように成長したかはわからない。
しかし、こうして理解ろうとしてくれる人を得ていくことで、久遠は過去を乗り越えていくのだろう。
そして久遠にとって大切な人が増えていけば、久遠の暴走や狂気もまた少し違った形で現れてくるのかもしれない。
久遠はやっと得られた大切な人々に彼なりの精一杯の献身をするだろう。伊達や三上、あすかに心を開いていけばいくほど、久遠の彼らへの思い入れは深まる。

伊達やあすかに比べて不完全で不安定だが、頭が切れて実力があるぶん、久遠は敵に回すと厄介な男だ。
似たタイプの敵とガチでやりあうところも見てみたいものだ。


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フジテレビ・オン・デマンド「ジョーカー許されざる捜査官」
一話315円、全話1575円

2010年8月17日火曜日

第五話:感想

この脚本家は3話づつ区切って仕上げてるのだろうか?
第一話と第四話は力を入れて作っているのがわかる台本、第二話と第五話は練りきれてない台本、第三話は役者の力がものを言うエモーショナルな台本、と順に回っているようにみえる。
今回の第五話の脚本は第二話同様、3話ローテーションの中では最も構成が甘い回で、美人局のくだりも不要だった。
このタイプの回は視聴者離れを引き起こす可能性がある。
ジョーカーには既に固定視聴者が付いているようだが、第三話が第二話よりも下げたように、次の第六話の視聴率も第五話より若干下がるかもしれない。

第五話においては、伊達たち闇の制裁人が「どのような人間を制裁の対象にするか」という点で、これまでとは違う判断をしていることが気になった。
伊達たちはこれまでも「法の裁きを逃れた者」が制裁の対象だと話している。また今回は三上が「自分たちが裁くのは最後の最後。とことん警察が追ってそれでも駄目だったときに動く」とも述べている。
それらと同時に、伊達たちには「自分たちが与える制裁の重さが、本来受けるべき法の裁きの重さと比べても”妥当”と思われる者」というルールもあるはずだ。

伊達たちの制裁は「一生あるところに閉じ込めて社会には出さない」というもので「おまえに明日は来ない」と宣言していることからも制裁の重さが伺える。
法の裁きで与えられる量刑に例えても「仮釈放なしの無期刑」という非常に重いものだ。
伊達たちが与える制裁は現在のところ一種類しか示唆されていない。
例え相手が性悪で腹のたつ人間であっても、そもそもの法の裁きが有期刑のレベルの犯罪者を、自分たちの勝手な判断で過剰制裁に科してしまったら、伊達たちはただの義賊気取りの狂った犯罪者でしかなくなってしまう。

これまでの犯罪者が第四話を除き、立件されれば多少なりとも死刑や無期刑の可能性があったのに対し、今回の女弁護士はドラマで明らかになっている範囲では死刑や無期刑の可能性はまずない。

弁護士として、満足する報酬を払ってくれる依頼人の仕事を引き受け、依頼人の希望に沿うよう全力を尽くす。それ自体には全く問題はない。
裁判官や検察官と違って弁護士というのは依頼人の味方をするのが仕事である。依頼人の希望(無罪や減刑)を勝ちとるために働いて、それによって報酬を得る商売なのだ。それで高額の報酬を得ようと外野がとやかく批判するものではない。
多額の報酬を得る仕事をしている=悪徳ではないのだ。

では氷川が行っていたことが何にも抵触しないのか?と言われればそうでもない。
弁護士は弁護士法によって「基本的人権を擁護し、社会正義を実現することが使命である」と明確に規定されている。
本来弁護士は依頼の目的が社会正義に照らして不当であると判断される場合にはその依頼を受けてはならないのだ。
椎名が心神喪失でないことを承知の上で依頼を受けたと証明されれば、弁護士としての姿勢に反したとして、弁護士会より懲戒処分を受ける可能性はある。

また、美人局を使って幸田を嵌めたことについても、氷川の指示であることが立証出来れば、美人局の主犯格として有罪判決を受ける可能性が高い。
しかし執行猶予期間中の柿原沙世をあっさり切ったところを見ると、柿原が逆上して洗いざらい証言したとしても、共犯の立証は難しいレベルなのだろう。

フリーのルポライターに事実に反するネタを流した件についても、記事が与えた損害をネタの提供者に求めることは難しい。
自分でネットに書き込むなりしたのならともかく、この場合は何の事実確認もせず掲載した(もしくは確信犯で掲載した)編集人や発行人、ルポライターに責任がある。
幸田への自殺教唆も、この記事を出されたら奥さんが傷つきますよ、鑑定書の捏造なんて私は知りません、手は汚したくありません、だけでは自殺教唆としての立件は難しい。

ドラマ中であすかが「法を悪用して相手を陥れるってある意味完全犯罪ですよね。法じゃ裁けないってことですから」と言っているが、残念ながらあすかは根本的に間違っている。
「法を悪用する」ことと「法に触れない」ことは全く異なることなのだ。
氷川がやっていることは法律の知識を活かした「法に触れない」ことであって、法に触れないことであれば法で裁けないのは当然である。

氷川は社会正義の実現のためでなく私利私欲のために働く性質の悪い弁護士だったし、自分の利益のためなら手段を選ばない悪徳弁護士でもあった。
しかし凶悪犯罪の実行犯などではない。横浜連続殺人事件でも犯行に及んだのは椎名であって氷川は共犯ですらない。
幸田の精神鑑定捏造を暗に指示したにせよ、法廷での審理は正常に行われており、当然検察の証拠調べなどの課程も経ている。その上で氷川は無罪の判決を勝ち取っているのだ。鑑定書の捏造にも気づかず、心神喪失でないことも見破れず、控訴すらしなかった検察のほうがよほど問題である。
ちなみに実際に心神喪失で無罪判決が出るケースはまずない。精神鑑定を演技で切り抜け続けるのは不可能と言っていい。

氷川のような弁護士は弁護士の風上にも置けない人間だが、犯罪者としてはせいぜいが「有期刑+懲戒+社会からの冷たい目」くらいの犯罪者である。
盗聴テープを動画サイトにでもアップして悪事を世間に知らしめるだけで社会的信用は地に落ちる。権力からは見捨てられ、あらゆる人間から罵倒されて、屈辱に歯ぎしりをする氷川を見るだけでも充分カタルシスが得られただろう。

しかし伊達たちは氷川に従来の重い闇の制裁を与えた。そこに法の根拠はない。
椎名の判決は覆らないにせよ、幸田の遺書を公表することで氷川の悪事を陽のもとに晒すことだって出来たのに、伊達たちはそれもしていない。ただ自分の正義感をものさしにして、勝手に他人の罪の重さを決めて、私刑を行っただけだ。
もしそれを行ったのが正義に耽溺する久遠であれば納得がいく。
しかし伊達はそうではない。

たとえ自分が与える制裁の重さが法の裁きで与えられるべき刑の重さより軽くても、相手がどんなに最低な人間であっても、それでも伊達は、「闇の制裁という私刑は決して許されることではない」と言うだろう。
その上で、その許されないことをしなければならないことを、とても哀しいことだと伊達は感じている。そして、こんな哀しいことをするのは自分一人でよかったのだと思っている。

今回も伊達は最後の最後まで氷川の良心を信じようとしていた。捜査一課全員に徹夜で協力してもらって幸田を保護しようと努力していた。幸田の口から真実が語られること、それが氷川の悪事が裁かれるための本来の道筋であることを伊達は承知していた。
脚本上でそれだけの積み重ねをしていたにも関わらず、氷川を闇の制裁にかけてしまった時点で、伊達の苦悩が非常に安っぽいものになってしまった。

別に毎回制裁を行わなくても氷川を敵キャラとして生かしておく手もあった。もしくは闇の制裁ではない制裁方法をとっても良かった。
伊達が闇の制裁の何を哀しいと思っているのか。それがこのドラマの最大の肝のはずだ。
その説得力を不用意に揺るがすようなことは避けたほうがいいだろう。

ゲストに関しては鈴木砂羽、小須田康人、丸山智己がいい演技をしていた。

鈴木砂羽が演じた氷川成美弁護士は、頭がよくて、美人で、高慢ちきで、人を見下していて、金と権力が大好きだ。
法に触れるようなヘマはしないと言い放つ自信満々な熟女だが、視線をしっかり合わせて正面から斬り込んでくる伊達の前では、だんだん言わなくてもいいようなことまで話し始めてしまうのが興味深かった。

おそらく氷川は無意識のうちに伊達に惹かれ始めていたのだろう。それを予感させるのでなければ、敏腕弁護士が手の内を話し始めるのは不自然だ。
しかしその氷川の心を伊達が感じ取るくらいに判りやすく演じたら、いつもの制裁のように氷川を撃つ伊達に視聴者は違和感を感じただろう。
鋭い伊達がそれを感じ取らない程度に、もし感じ取っていたとしても制裁の邪魔にならない程度に、でも画面を通して視聴者にはそれがうっすらと滲むように演じた鈴木の演技力は大したものだ。
堺との相性もよさそうなので準レギュラーとしてもう少し残しておいてもよかったのに残念だ。

ゲストでは幸田弘道役の小須田康人も非常によかった。
自殺まで追い込まれる前に、誰かに助けを求めるチャンスも妻と一緒に頑張るチャンスもあったのに、氷川に押されるままに追い詰められてしまった幸田の性格を、小須田は少ないカットで繊細に表現していた。
真面目で、打たれ弱く、争いごとを続けるのが苦手で、優しくて、息子を亡くした後はまるで腫れ物にでも触るようにそっと大事に妻に接してきただろう背景が、小須田の演技により伝わってきた。
最も素晴らしかったのは最期の写真に写った幸田の悔いのない笑顔だ。百のセリフより一瞬の演技。写真一枚で泣かせてくれる役者も久しぶりだと感動した。

対して些か期待はずれだったのは幸田京香役の春木みさよだ。
最後の涙を流すシーンは良かったが、演技力そのものが鈴木や小須田に比べて足りない。役柄を掘り下げている様子もなく、チョイ役を演じるようにさらりと流してしまっていたのも残念だ。
良くも悪くもこのドラマは役者の演技力に左右される。脚本や演出でカバーしきれない役柄の細やかな感情や背景を、役者が役を掘り下げることで補完しているのだ。だからこそ視聴者は飽きることなく1時間を楽しむことが出来る。
たとえセリフがなくても、見切れていても、役名すらない俳優でも、映画のように丁寧に演じているところがこのドラマの最大の良さだ。
雰囲気はある女優なので次の機会に期待したい。

今回初登場の宮城夏樹役の丸山智己は、杏演じる宮城あすかと兄妹だということが無理なくわかる演技で大変面白く見れた。
あすかを夏樹が真似ているのではなく、あすかが兄夏樹に影響されて似ているのだと、ちゃんと思えるところが素晴らしい。
あすかよりも更に熱血で、身体も声もデカくて暑苦しく、裏表がなくて男気があって、優しい。あすかたち家族に心から愛されていた夏樹の姿がそこにあった。「こんな兄貴が殺されたんなら、そりゃあ悲しくてたまんないよな」と素直に思える夏樹像だった。

「ジョーカーのストーリーライン」については夏樹の登場で大きく展開した。
ナイフの刃先を上に向け、左上腹部から肋骨の下にえぐり込むような殺し方は明らかに素人の殺し方ではない。膝の後ろを蹴って体勢を崩すのも体術の基本技だ。夏樹を殺した犯人は明らかに訓練された人物である。
夏樹が犯人を「あなた」と呼んでいることからも伊達たち同僚ではなく目上の者だということがわかる。

しかし夏樹を殺したのは井筒ではないだろう。
井筒が使っていた情報屋のチンピラも夏樹と同じように左上腹部を一突きされていた。おそらく情報屋殺害も夏樹殺害も同一犯による犯行だ。
井筒がラストに言っていた「余計なことを嗅ぎ回ると消される」の言葉通り、情報屋も夏樹もそのせいで殺されたのだと思われる。井筒は夏樹に関わるなという合図を出していたが、結局は夏樹を守れなかったということだろう。そして今度は冴子が危険であることを伊達に伝えている。
椎名が神隠しに合う可能性があると冴子に聞いた後、冴子の前から消えたのも、伊達たちを守るために消えたのかもしれない。

伊達、久遠、あすかの間にも微妙な変化が現れてきている。
伊達の前ではチャラ男の仮面の下の本来の姿を見せるようになってきた久遠だが、あすかの前でも仮面の下の素顔を覗かせるようになってきている。
それは久遠に取っては良いことで、これからだんだんと他の人の前でも本当の自分が出せるようになってくるのかもしれない。

遺体安置室の前で伊達を待つ久遠とあすかは、疲れて傷付いた顔をしていた。
伊達がそこにやってきたとき、2人の表情に伊達を頼りに思う感情が現れていたが、久遠とあすかの表情は異なっていた。
あすかは信頼する上司を見つめる刑事としての顔、久遠は年の離れた兄にすがるような顔だ。
早く一人前になりたいと言っていたあすかは、一人前の刑事としての道を歩んでいる。信頼出来る人が欲しかった久遠は誰かに助けを求めるということを覚えた。
夏樹の事件やこれから起こる事件が、久遠やあすかにどんな影響を与えるのかわからないが、悩んで苦しみながらも成長していくだろう2人を楽しみにしたいと思う。


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フジテレビ・オン・デマンド「ジョーカー許されざる捜査官」
一話315円、全話1575円

2010年8月10日火曜日

第四話:感想

 
脚本は今回が一番良かった。
演出も余計なドタバタや効果を入れようとせず、役の心情を引き立たせることに注力していたことに好感がもてた。

このドラマは、「事件発生」(起)-「犯人特定」(承)-「立件不可」(転)-「闇の制裁」(結)という非常に明快な展開をベースとしている。
「水戸黄門」でも観るように視聴者は最初から展開がわかっているわけだ。

毎回陰惨な事件が起こり、遺族の悲しみ苦しみを目の当たりにしながら、伊達たち捜査員は犯人を特定して立件すべく全力を尽くす。
なのに立件を目の前にして何らかの理由で立件を諦めざるを得なくなる。犯人は被害に合うほうが悪いとでも言いたげに高笑い。そうして遺族や捜査員の悔しさが頂点に達したとき、闇の制裁人が犯人に無法の裁きを与えにやってくる。
視聴者は捜査員たちと同じ気持ちになって憤慨し、闇の裁きによって悪いヤツは罰を受けるんだというカタルシスを得る。それがこのドラマにおける「事件のストーリーライン」の在り方でもある。

しかし1~3話までこのカタルシスを与える展開が上手く機能していなかった。
最大の理由は「立件不可」(転)があまりにも練られていなかったせいである。

第一話の「立件不可」の理由は「容疑者の父親が検察のお偉いさんだったから」。
これについては「第一話:正義とは何か」で既に触れた。
実際のところ警察よりも検察が力を持っていることは事実だが、動物殺しがエスカレートして子供殺しにまで至った殺人鬼が、親が検察の上層部にいるという理由だけで無罪になったという展開にはあまりにも無理がある。
奇しくも、森元総理の長男で県議会議員だった祐喜氏が酒気帯び運転でコンビニに突っ込み逮捕されたばかり。現実はこんなものだ。

第二話の「立件不可」の理由は「自白が取れなかったから」。
伊達の48時間耐久取調べは面白かったがストーリー構成自体がまとまりきっておらず、テンポのいい演出と役者の演技力で上手くカバーされてはいたものの、内容はピントのぼけたものになってしまった。
この回で見せたかったものは「犯人は判っているのに証拠も自白もなくて逮捕出来ないやるせなさ」や「失火の疑いで世間から責められる遺族と被害者の関係」、「違法捜査や別件逮捕による取調べに対する伊達・久遠・あすかのスタンス」といったところだろう。
プロットが沢山浮かぶのはいいことだが、医療ミス云々のくだりはいっそカットしてしまったほうが構成にまとまりも出た。

第三話の「立件不可」の理由は「証拠がなかったから」。
山原が死亡推定時刻を操作した証拠となる断熱カーテンは既に焼却されてしまい、捜査本部の設置も却下され、井筒からこの事件は心中事件として処理すると宣言される。ただし第三話の場合、起承転結の「転」は「立件不可」よりも「久遠の暴走」に置かれており、「事件のストーリーライン」から「ジョーカーのストーリーライン」へのクロスが見られる。
第一話から積み重ねられた「繰り返しの暴力で人の心を踏みにじる人間が許せない」「そんな奴が捕まえられずにのうのうとしていることが許せない」という久遠の激しい感情のクライマックスを「転」に持ってきたことで上手くカタルシスを得られる流れに持ってこれた。
しかしこれは「第三話:感想」でも書いた通り、久遠役の錦戸と伊達役の堺の演技力による成果に他ならない。

このドラマのように起承転結の「転」に「立件不可」がくるパターンの場合、2話や3話のように「証拠も自白も取れなかった」というケースが多くなるだろう。

トラディショナルな刑事モノでは「転」に「加害者の感情の発露と自白」が来るので、加害者がなぜそんなことをしたかにさえ説得力があればストーリー構成は難しくない。
時代劇であれば「転」に「手詰まり」を持ってきても、その時代は理不尽なことがまかり通っていたという視聴者との共通認識さえあれば、手詰まり感はどうとでも演出出来る。
現代劇であっても警察組織を離れたアウトロー達の話にしたり、主人公たちが警察官であっても潔くリアリティを切って警察内の闇組織にすれば、まだいくらでも楽な持っていきようがあった。

しかし「ジョーカー」では主人公達の主たる仕事はあくまで正規の警察官としての仕事であり、冒頭でのメッセージにもあるようにフィクションでありながらリアリティを売りにしようとしている。最初から脚本のハードルを上げてしまっているのだ。
であれば「闇の仕事」(結)は現実にはありえない設定でも、それに向けた「事件発生」(起)から「立件不可」(転)に向けた流れに刑事モノとして十分なリアリティを持たせなければ、「転」の盛り上がりも「結」の説得力も成立しなくなってしまう。

「ジョーカー」ではそれを補助するファクターとして警察の権威主義や隠蔽体質、事なかれ主義を盛り込み、そこにリアリティを持たせたいようだが、これも説得力ある「事件のストーリーライン」あってこそ。
井筒役の鹿賀の演技が孤軍奮闘でこのあたりの暗部を想像させる余地を作っているが、このドラマの肝がこの警察の暗部によるものであれば、明らかに登場人物も伏線も足りない。

第四話の事件は前三話と比べると「立件不可」(転)に持って行く流れが非常にスムースだった。
その要因は「立件不可」(転)の要因が「証拠も自白も取れなかった」からではなく「心神喪失で無罪判決が確定していた」ためだ。
11人もの死傷者を出した無差別殺人事件で検察が控訴を断念し地裁レベルで無罪確定となったというところにはリアリティがないが、to be continuedである今回の場合、これも伏線の一つである可能性もあるのとりあえず置いておく。
現行法では無罪が確定してしまった以上、たとえ判決が間違っていても一事不再理効で訴追は出来ない。法律上そうなっているのだから視聴者も「転」への流れに納得しながら観ることが出来る。
こういった「証拠も自白も取れなかった」以外で視聴者が納得しやすい「転」のケースは他に、「公訴時効」「犯罪者引渡し条約のない国の犯人が自国に逃亡」「地位協定によって十分な捜査が出来なかった」などが挙げられる。

今回は演出上も心神喪失を装う犯人椎名と、それを見抜いている伊達の化かし合いが効果的に演出されていて、第二話の犯人との心理戦以上の面白さがあった。
映画「タクシードライバー」のデ・ニーロを思い起こさせる、バックミラーに映る人の心の奥まで覗き込むような伊達の視線。心神喪失でなくても狂人には違いない犯人。
to be continuedへ向かう畳み掛けるような演出も非常に効果的で、次回に向けての高揚感が十分に高まった。

このドラマでは主要キャストにいい役者を揃えているだけでなく、毎回のゲストにも玄人好みな役者をキャスティングしている。今回の犯人役の窪田正孝も、被害者の父親役の甲本雅裕も非常に上手く観ていてあっという間に時間が過ぎた。
中には第一話の小市慢太郎のように演出ミスで役者の良さや上手さが十分に伝わらなかった場合もあるが、細田よしひこ、今井悠貴、鈴木浩介、黄川田将也など、それぞれが視聴者をドラマの中に引きずり込む素晴らしい演技をしていた。

一方で少々残念だったのは杏とりょうだ。
りょうは冴子という役を確実に掴んできているが、いかんせん鹿賀丈史に負けてしまっている。冴子は井筒を追い詰めていく役なので、ぜひとも鹿賀に負けない力を発揮して欲しい。

杏はここにきて役者としてのキャリア不足が響いている。
出番の多くは、堺、錦戸、鹿賀と絡んでいるが、この3人は天性の役者だ。息をするようにその役を演じ、ほんのワンカットで場を自分のものにすることが出来る。錦戸の演技が堺や鹿賀とのシーンを重ねる毎に水を得た魚のように良くなっていくのは、彼が堺や鹿賀と似たタイプの役者だからだ。
役を作って演技をするタイプの役者でも場数と演技の巧みさがあれば、堺たちのような役者の演技を逆に自分のために活かして自分の見せ場を作ってみせるものだが、杏はすっかり呑まれてしまって、それっぽい宮城あすかを演じているだけになってしまった。
回を追うごとにドラマの中の役も成長していくが、あすかは毎回毎回同じあすかでふとした表情や台詞回しにも変化が見られない。
台本に書いてある通りに演じるという意味ではまあ合格点だが、あのキャストの中ではどうしても見劣りしてしまう。伊達の教えひとつひとつに確実に成長していくあすかを見せて欲しい。

「ジョーカーのストーリーライン」については、三上の過去と三上が伊達をどのように思っているか明らかにされた。また昔の井筒と今の井筒の変化も仄めかされている。
伊達に文句を言っているばかりの来栖も伊達を嫌っているわけではなく、刑事らしい正義感を持った人間臭い男であることが見えてきた。吠えるタイプの刑事としては堀田と被ってしまっているが、今後堀田ももっと肉付けがされていくだろう。堀田役の土屋がどんなときにも堀田を丁寧に演じていることには非常に好感が持てる。轟も3人の中では後輩でやや神経質そうなカラーが出てきた。

前回闇の制裁者の仲間になった久遠は今回もいい味を出していた。
伊達を息子のように思ってきた三上が、久遠のことも息子のように思うようになるにはまだ時間が掛かるだろうが、久遠が伊達や三上を誰にも内緒のファミリーのように慕いはじめているのはよくわかるし、闇の制裁者としての仕事にも意義を感じてハマりつつあるのもよく伝わってくる。

纏っていた鎧を解いて助けを求めた久遠を受け止めた伊達も、次第に久遠に正直な心情を見せ始めている。
ただし「こんな思いをするのは自分だけでよかった」と吐露する伊達に「俺も普通じゃないから」と答える久遠との間にはまだ認識のギャップがあるだろう。
久遠の両親についてはまだ触れられていないが、おそらく久遠の目の前で殺されていると思われる。例えその点では同じであっても、久遠は伊達が犯人を殺すつもりで刺したことを知らない。
久遠は伊達が闇の仕事をしているのは、両親を目の前で殺されたことが原因だと思っているだろう。その上で「自分も同じ境遇だから巻き込んだなんて思わなくていいよ」と言いたいのだと思う。

椎名を制裁する場面で、久遠は伊達が制裁を行うときの表情をはじめて見て、伊達の目に悲しみが宿っていることをいとも簡単に見抜いた。
これからも久遠はその観察力と頭の回転の早さで本当の伊達を明らかにしていくだろう。そして伊達も久遠の前では張り付いた笑顔の仮面を維持出来なくなっていくに違いない。

さて、最後に犯人椎名が最後に残した言葉だが、彼の持っていたコインが両面表だったことが伏線になっていると思われる。
伊達たちの仕事は、表が警察官、裏が闇の制裁者。椎名についているのは表の警察組織そのものなのかもしれない。
検察が控訴を断念して地裁レベルで無罪確定させたのも、闇の制裁者が狙ってきそうな凶悪犯を泳がすことが目的だったのかもしれない。
そのあたりは第五話で多少でも明らかになるのだろうか。

ちなみにコインに書いてあった文字はCRISTINA FERNANDEZ DE KIRCHNER」。
クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル、現アルゼンチン大統領の名前だ。
なぜ彼女の名前を使ったのかはわからないが、あまり本編には関係なさそうだ。

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2010年8月3日火曜日

第三話:感想

今回はとにかく錦戸と堺の演技力に救われた回だった。

このドラマには2本のストーリーラインがある。一つは一話完結型の「事件のストーリーライン」、もう一つはシリーズ全体を通した「ジョーカーのストーリーライン」だ。
前者の事件のストーリーラインは回を追うごとに甘くなっており、第二話終了あたりで既に離れている視聴者も多くいると思われる。今残っている視聴者の多くが注目しているのは後者のジョーカーのストーリーラインだろう。

第三話ではこのジョーカーのストーリーラインが大きく動いた。
前回ラストで伊達の正体を突き止めた久遠が、今回ラストで伊達の仲間になった。
構成上、時間の多くは事件のストーリーラインに割かれてしまうので、堺と錦戸はそのときどきの伊達と久遠の心情の移り変わりを短いシーンやカットで的確に表現しなければならない。

つたない脚本家だとこの心情の変化そのものを台詞にしてしまうところだが、そういった台詞を伊達と久遠に与えなかったことは評価出来る。
そのぶんストーリーの説得力は堺と錦戸の演技力に委ねられてしまうが、脚本もそれだけの信頼を堺と錦戸に寄せているということなのだろう。現にその期待に堺と錦戸は十二分に応えていた。

伊達の闇の制裁の現場を突き止めた久遠の狂気すら感じさせる笑顔と、何の感情の揺れも感じさせない冷たい表情の伊達から第三話は始まった。
新しいおもちゃを見つけた子供のように好奇心たっぷりで「自分も仲間に入れろ」と脅しを掛けてくる久遠に伊達は取り付く島もない。

伊達は闇の制裁を必ずしも正しいこととは思っていない。
闇の制裁者になったいきさつも心情もまだ明らかになっていないが、人を刺したのに罪を逃れてしまった自分は他の人間と違うと伊達は感じており、そんなことに久遠を巻き込みたくないと思っている。
バレてしまって色々と纏わり付いてくる久遠を「厄介なヤツにバレた」とは感じていても、久遠自身を拒絶しているわけではない。

基本笑顔が張り付いたままの伊達だが、そのときどきの表情のリアクションで様々な感情を伝えてくれる。
久遠の頭の良さと実力を認めているからこそ、久遠が何かの行動を取ったときには警戒をする。とはいえ久遠が自分を逮捕するとも思っておらず(いっそ逮捕してくれていいと思っているのかもしれないが)、自分の闇の仕事に異様に関わりたがる久遠に何か事情がありそうだとも感じている。
このあたりの堺の演技が抜群に上手い。

一方の錦戸も堺に一歩も引けを取っていなかった。
久遠の痛ましい過去を知った伊達は久遠を仲間に入れるのだが、ここの伊達の心情の変化に視聴者が共感出来なかったらドラマ自体が終わりだ。ここでは伊達の決断に説得力を持たせるだけの錦戸の演技が求められた。

第一話から錦戸は目立ちすぎない程度に久遠の闇を視聴者に予感させてきた。
人の痛みがわからない下衆野郎は殺してやりたいという凶暴性と危うい狂気、その裏に見え隠れする寂しさと絶望感。それに伊達は気づきやがて久遠を受け入れる素地となっていく。

揺さぶりを掛けても乗ってこない伊達に久遠の興味は高まっていく、また一方で、今回の被害者の体中に残った痛ましい痣が久遠の怒りを駆り立てていく。
伊達の両親がヤクザに殺されていることを調べあげた久遠は、その事件が伊達の制裁者としての顔を作り上げたのかもしれないと井筒に聞き込みを行う。

この時点までで久遠の中にあったのは「伊達自身」と「伊達の闇の仕事」に対する好奇心でしかなかった。しかし井筒から「伊達の両親は伊達の目の前で殺された」と聞いた瞬間、久遠の中の何かがはじけた。ここから先の錦戸の演技は絶品だった。

凶暴性や狂気、好奇心、チャラ男の仮面を纏ったまま、伊達に救いを求める心が久遠の全身から滲みはじめる。しかし伊達はまだそれに気づかない。
伊達に「君を相棒にするつもりはない」ときっぱり拒絶された久遠は、犯人を拉致して自白を強要するという暴挙に出る。無論それが警察官として間違った行動であることは承知の上で、久遠は伊達に何かを判ってもらおうとしていた。
しかしこの時点では伊達は久遠のとんでもない行動に呆れているに過ぎない。

伊達の心情が大きく変化したのはこの後だ。
余裕綽々で尋問を始めた久遠だったが、予想外のところから久遠が隠し続けてきた悲惨な過去が曝されてしまった。

久遠の背中に残った酷い虐待の痕に気づいた犯人は、久遠の心を土足で踏み荒らしナイフのような言葉で切り刻み始めた。最初は対峙しようとした久遠だったが、容赦なく傷を抉られる痛みに感情を隠しきれなくなっていく。
いきなり虐待の傷痕のことに触れられて内心で動揺し、「下衆野郎の被害者」「身体だけじゃなく心にも深い傷を負ってるんだよな」と畳み掛けられて怒りよりも先に恐怖を抱いてしまう。
親に虐待されたのかと吹っかけられて僅かに奥歯を噛んでしまい犯人に一番知られたくないことを知られ、親に虐待されたことを嘲笑われて悲しさに虐められた子供のように目に涙を浮かべてしまう。
コンプレックスの塊だと言われて気持ちを奮い立たせて言い返してみても、傷つけることを楽しむように威圧的に「強がんなよ」「怖いんだろう」「他の奴らと違うことに怯えてるんだろう」と切り替えしてくる犯人に悔しさで泣き出す寸前になってしまう。
そして「親に仕返しも出来なかった弱虫」と罵られて、とうとう犯人を殴りかかってしまう。

この間、久遠には台詞も動きも殆どない。
しかし錦戸はごくごく僅かな表情のこわばりや視線の下がり具合、瞳の潤みなどで、久遠の背負った心の傷の深さを表現してみせた。これはドラマが始まって初めて見せる久遠の素の姿でもあった。

PCの画面から一部始終を見ていた伊達は久遠の痛みを感じ取って顔を歪ませ、追い詰められた久遠が犯人を殴りはじめるのを見て久遠を止めるために席を立った。はじめは早足だったのが走りだしてしまうところで、伊達の焦りが上手く表現されている。

伊達が久遠の元に辿り着いたとき久遠はまだ犯人を殺してはいなかった。久遠の背中には虐待の酷い傷痕が浮かんでいる。伊達はその傷痕だけで久遠の心の傷の深さを察したことだろう。
「罪を罪と思っていない奴が許せない、悪人を捕まえられない世の中が許せない」と叫ぶ久遠に、伊達は「君のやり方は間違っている」と諭す。
「わかってるよ。でもあんたには知ってもらいたかった」という久遠の涙混じりの言葉からは、控えめで、それでいて必死な伊達へのS.O.S.が感じられる。
久遠が伊達にわかってもらいたかったのは、この犯人のような人の痛みが分からない悪人がいることなのか、それともこのような悪人に傷つけられたままになっている人間がいることなのか…。

そして犯人の被害者に対する無慈悲な言葉に逆上した久遠の、血を吐くような悲痛な呻きで場面はクライマックスを迎える。
「おまえに殴られても蹴られても、それでも耐えてた彼女の気持ちがわかるか?わかるわけねえよなあ!」
犯人の眉間に銃口を突き当てる久遠の怒りと悲しみが煮え立って殺気に変わっていく。
久遠が犯人に見ていたのは被害者の悲しい姿だったのか、別のものだったのかはわからない。その怒りが本当にこの犯人に向いたものだったのかすらもわからない。

久遠の箍が外れかけた瞬間、伊達は体当りをして久遠を止めた。
「殺しちゃいけない。終わりのない苦しみを与えるんだ。被害者たちのように。こいつに明日は来ない」
ゆっくりと諭す伊達の背で俯く久遠の心に去来するものは何だったのか。本当に殺したかったのか、止めて欲しかったのか。それもまだわからない。

いつものチャラ男の仮面をすっかり剥がされ、心を剥き身にされてしまった久遠は、何の鎧も纏わずに伊達に向かって助けを求めた。
涙を浮かべて、自分も普通じゃない、どうにかなってしまいそうで苦しい、と訴える久遠には、溺れる者が藁にも縋るような必死さが窺われる。一方でどこかで「それは藁だ」と判っているような諦めも見て取れる。
伊達が机を開けるために後ろを向いたときも、久遠はそれ以上伊達に縋るわけでなく、やっぱり駄目だったという表情で目を伏せただけだった。伊達が最初の仕事だと通帳を渡したときも、喜ぶより困惑のほうが先に立って、じっくりと伊達の言葉の意味を噛み締めているようにみえた。

伊達が久遠に感じていた狂気や危うさ、久遠が背負っている心の傷、それらはやがて伊達の仕事の足を引っ張ることになるのかもしれない。
しかし伊達は誰からも手を差し伸べられずにきた久遠の捨て身のS.O.S.を受け止めた。
それはかつて三上が子供だった自分に「おまえが苦しんでるなら、痛みを抱えてるなら、俺が一緒にせおってやる」と手を差し伸べてくれたことも関わっているのだろう。

もしかしたら久遠の暴走が伊達の命運を左右するようなことも起こるかもしれない。そしてそれは久遠の命運をも左右することになるのかもしれない。
何にしてもここまで説得力と余韻を残した堺と錦戸の演技の確かさには賞賛の言葉しか浮かばない。

今回「ジョーカーのストーリーライン」が素晴らしかったのに対して「事件のストーリーライン」は内容も演出もリアリティに欠けるものだった。「事件のストーリーライン」自体の甘さに関しては後で書くことにして、ここでは演出について触れたい。

第一話・第二話も事件のストーリーラインにはツッコミどころ満載だったが、演出の上手さでうやむやにしていたところがあった。今回の演出もテンポはいいし、少し笑いも入れて、ポイントになる部分は判りやすくという方針は理解できる。
しかし、細かな積み重ねによって生まれて些細なことで呆気無く崩れるのがリアリティというものだ。今回はその辺りに手を抜いたという印象を強く感じた。

例えば、被害者家族がまったく貧しいように見えない。
父親が倒れて収入がなくなり病気なのに手術も受けられず、被害者が風俗で働いて両親の生活費と手術代まで稼いでいたという割には、両親の暮らし向きは裕福に見える。
被害者が暮らすアパートもさっぱりと小綺麗で、被害者にも崩れた感じがない。

もちろん、被害者が売れっ子だったので両親の暮らし向きも良かったとか、被害者は風俗に務めていても崩れたところが一切ない聖女のような女性だったとか、裏設定を作れば切りがない。しかしそれらの演出がストーリーラインで活きない以上、単にリアリティを削ぐだけだ。

もしかするとこれらは「死亡時間のトリックに高価な断熱カーテンを使う」という脚本に引きずられたものなのかもしれないが、であれば父親の身体の負担のために粗末な家に不釣合な断熱カーテンがあるというほうがリアルだ。
また両親の悲痛な叫びも、こんな最低の生活ですら娘に夜の商売をさせてそれに見て見ぬ振りをしなければ送れない不甲斐なさと、みすみす娘を死なせてしまった無念さが、ストーカーを止められなかった警察に向いたとしたほうがより切ない。

久遠が犯人を拉致した際にシャツを脱いだシーンにも必然性が感じられなかった。
あすか達が部屋に来たときにも慌ててシャツを着ているくらいだから、久遠は人前でシャツを脱いだ状態でいることに多少なりとも躊躇いを持っているだろう。
暴力の脅しをかけるために相手を睨みつけながらシャツを脱ぐというのはいかにもマンガだ。

しかも犯人は肩越しに覗く僅かな傷痕でそれが虐待によるものだと見抜いた。
久遠と犯人はずっと向かい合っているので犯人から背中は見えない。肩口から覗く火傷痕など、事故か何かで出来たものだと考えるのが普通だろう。
ただし久遠の傷痕は背中側から見ると虐待の痕であることがよくわかる。境目のはっきりした大きな火傷痕はアイロンを押し当てられたもの、その隣の丸い火傷痕はタバコの火を押し当てたことによるものだろう。
これは犯人が久遠の背中を見て虐待によるものだと見抜いたという演出が正しい。

であれば最初から拉致した現場を、最初から非常に温度が高い設定にしてしまうと方法もある。
猛暑のシーズン、外に気づかれないよう閉めきってクーラーも止めた理科室、熱気がこもった緊迫した空間。そこであれば暑さで久遠がシャツを脱いでも、暑さで少々集中力が切れて犯人から視線を外して横を向いてしまっても不自然ではない。

ついでにいえば、冒頭で伊達が久遠のみぞおちを殴るシーンも、伊達が久遠の拳銃を掴むシーンももう少し臨場感が出るように演出したほうが良かった。カメラアングルも全体的に学園モノやラブコメのようで、一話二話にはあった緊迫感に欠けていたように思う。

「ジョーカー」がどの方向に進みたいのかいまひとつ掴みかねる部分があるが、冒頭の注意書きのように事件にリアリティを持たせたいなら「事件のストーリーライン」に推理モノが得意な脚本家を追加するべきだ。
もし「ジョーカーのストーリーライン」で持って行きたいならキャラクターの心情を深く掘り下げて脚本を作り上げ、その理解を俳優と共有していく必要があるだろう。このドラマにはそれを十二分に活かす俳優が揃っている。
全体のリアリティを増したいならジョーカーの世界とキャラクターを熟知した演出家が、細かなところも含めてしっかり演出していく必要があるだろう。

今後に更に期待したい。


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2010年7月27日火曜日

第二話:久遠健志の過去予想

次回予告によるとこのあたりは今夜語られるようだ。なのでここでは予想を書きたいと思う。

エンディングで久遠の後ろ姿に重なる新聞記事にはこう書いてあった。
「一家惨殺事件 未解決のまま闇の中」
これはおそらく久遠の身に起きた事件なのだろう。見出しからすると時効を迎えてしまったということか。

強盗殺人の公訴時効は2004年の法改正で25年に、2010年には公訴時効なしとなった。
法改正後に発生した事件であればまだ公訴時効にはなっていないはずなので、久遠の事件は、2004年の法改正前に発生し当時の公訴時効期間15年が適用されたケースと考えられる。

現在のところ公訴時効になってどのくらい経つのかわからないが時効成立直後であったとしたら、伊達の事件が25年前、久遠の事件が15年前、あすかの事件(兄殺害)が5年前と、10年毎の区切りとなる。

法で裁けないというテーマに公訴時効は非常に相性が良い。
被害者や家族がどんなに心に深い傷を負っていたとしても起訴出来なければ法で刑罰を与えることは出来ないからだ。

久遠が家族を惨殺されたとして、もしかすると第一話で吐いていたのは二日酔いなどのせいなどではなく、命を弄ばれて無残に殺された少年を見て自分の過去を思い出して吐いてしまったのかもしれない。
一家惨殺というからには両親以外にも殺された家族がいるのだろう。久遠には弟がいて弟の惨殺体に似ていたという可能性もある。
第一話には被害者の少年が描いた家族の絵を久遠がじっと見つめるシーンもあった。この辺りも伏線になっていそうだ。

正直なところを言えば、久遠には公訴時効ゆえにではなく、劣悪な環境で育ったゆえに正義に耽溺するような狂気の鑑識官であって欲しいと思っている。そのほうが「正義とは何か」というテーマが際立つからだ。
自分のしていることを正義と疑わず正義であれば殺人を犯してもそれは罪ではないと信じる久遠と、罪人は法によって裁かれるべきであって自分のしていることは正義でも何でもないと思っている伊達の共感と反発を、表の仕事と裏の仕事を通じて描いてくれると非常に面白い。

優秀な鑑識官である久遠は多くの現場の真実を見るに違いない。その怒りの矛先を見つけてしまった久遠が少しづつ狂っていくのを伊達は止められるのか、彼らが追い求める正義とはいったい何なのか…、そんなストーリー展開を期待したい。

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第二話:感想

事件発生から無法の裁きに踏み切るまでのストーリー構成は相変わらず甘い。
役者と演出に相当助けられているが、刑事モノとしての最低限のリアリティは維持し続けて欲しいものだ。
オープニングのあの仰々しいコメントも止めたほうがいい。あのコメントが活きるほどリアルでもなくマンガでもないこのドラマにおいては逆効果でしかない。

役者に関しては第一回に比べてキャラクターが馴染んできて面白くなってきた。
鹿賀に続き、堺、錦戸、平山、土屋が、役柄にひとつふたつ乗っけてきているのがわかる。一瞬の表情や短い台詞回しひとつで、役に脚本を超えた魅力を与えてみせるのだから良い役者というのは見ていて楽しい。

また彼らの間には海外ドラマで言うところの「ケミストリー」もある。
特に堺と錦戸の相性は意外なほどいい。ラストシーンの堺の冷酷さの滲み出る表情と錦戸の狂気を感じさせる笑顔には釘付けになった。

平山も役柄上は伊達にライバル心を燃やす同僚刑事だが、その裏に抱く同期の伊達に対する信頼や親しみも上手く織りまぜて来栖淳之介を人間味のある役に育てている。非常に上手い。

土屋は例え画面に写っていなくても丁寧に演技をしている印象がある。
出番は多くないものの堀田というキャラクターをしっかり作りこんでいるのでどのシーンでもブレないし、見切れているようなシーンでもそこに堀田がいることが感じられる。

杏やりょうもいい演技をしているが、杏については脚本に書いてあるキャラクターをそのまま頑張って演じている印象だ。杏のキャリアから考えれば決して悪くない演技だが、元々ポテンシャルのある女優なので今後の化けに期待したい。

りょうについては冴子というキャラクターを丹念に探っている様子が伺える。堺・大杉以外の俳優と絡む来週辺りにそれが牙を剥くのではと期待している。

永岡もいい雰囲気は出しているがまだまだ周囲の様子伺いをしている雰囲気なので本領発揮はもう少し先なのかもしれない。

今回役が大きく動いた大杉は、あえて前に出ず、カラーも出さないことで長いタメを作っていたようだ。伊達の回想シーンで出てきた大杉とバーのマスターの大杉の違いにはやられた。大杉漣の一番面白いところをこのドラマは見せてくれそうだ。
鹿賀が役柄のカラーを初っ端から出してきたのとは対照的で良いバランスだと思う。

あらためて第一話を見返してみると、あの段階では役者が情報不足のまま探り探り演じていたのがよくわかる。
制作側が役者に役の情報をどれだけ与えているのかはわからないいが、このドラマのいいところは脚本でも主題歌でもなくひたすらに役者なので、制作側も役者には必要な情報をきちんと与え、役者とともに丁寧にドラマ世界を作っていくことが非常に重要な要素となるだろう。

現在のところ話のテンポもよく演出と役者の相性も悪くない。
ただし脚本は頭の中に浮かんだプロットを練らずにそのまま出しているようなところがあるので、脚本が役者に余計な戸惑いを与えないよう十分に注意を払うべきである。


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2010年7月17日土曜日

第一話:3バカ

冴子に「馬鹿3人衆」と称された来栖、堀田、轟もなかなかいい味を出している。

伊達の同期で伊達に変わって班をまとめている来栖は絵に書いたような班長刑事タイプ。階級は警部補で警部の伊達には大きく差を開けられてしまっている。
イマイチ頼りない伊達に文句ばかり言っているが別に伊達が嫌いという訳ではない様子。伊達が班長の仕事をやらないから自分がやっているという感じだ。伊達のほうもこれ幸いと来栖にお任せ状態。もしかすると実務で一番ハズレくじを引いてしまう損なタイプかもしれない。
あすかの兄夏樹とも同期だった筈だがその辺りのエピソードで来栖という男が肉付けされていくと良いと思う。

来栖の部下で32才の巡査部長堀田はそろそろ警部補に昇進しようかという年齢だ。来栖と組んで仕事をすることも多いようだが、来栖や轟と違って人懐っこさを感じさせるキャラクターである。
いつも来栖の後ろで難しい顔をしている堀田だが根は人のいいタイプなのだろう。
今回は捜査一課の打ち合わせに口を出す久遠を「部外者は黙ってろ」と叱り飛ばすシーンがあったが、マイペースでナチュラルに甘えた雰囲気を持つ久遠にすっかり負けてしまっていた。恐らく堀田のようなタイプは久遠や井筒のようなマイペース人間が相手だと自分のペースを守れないのだと思う。
堀田には井筒や久遠との絡みで堀田らしい人間味を見せて欲しいと思う。

24才の巡査部長轟はスマートで育ちのよさを感じさせるキャラクターだ。
階級は堀田と同じだが堀田がノンキャリアのイメージであるのに対し、轟は準キャリアっぽい雰囲気がある。
久遠とは年齢が近いから話もそこそこ出来るかもしれないが伊達とは全く合わなそうだ。恐らく一番普通に話が出来るのはあすかだろう。
熱血あすかとは正反対の性格に見えるので、その辺りを活かしたあすかとの絡みが見てみたい。

来栖、堀田、轟が「3バカ」なら、伊達、久遠、あすかは「3問題児」。上司にしてみればどっちも面倒くさい部下たちだが、井筒は面白がって見ているだけに違いない。この2組の絶妙なコンビネーションを見せるエピソードを期待する。


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第一話:デコボココンビ

生真面目な新人刑事あすかに何かとちょっかいを出す久遠だが、あすかを演じる杏の身長が久遠を演じる錦戸の身長よりもだいぶ高いためどうにも据わりが悪い。
「今夜2人で歓迎会しない?」などと口説き文句を連発してみてもあすかのほうが貫禄がありすぎて、中学生が新任の女の先生をからかっているようにしか見えない。
しかしコンビネーションが落ち着いてくれば非常に面白いデコボココンビに化けそうだ。

初回前半はハイテンションなチャラ男ぶりが目立った久遠だが、後半のテンション抑えめなチャラ男ぶりのほうが一癖二癖ある男の印象が残った。
猪突猛進なあすかがナチュラルにテンション高めであるぶん、久遠はテンションをあえて上げず、冗談か本気かわからないテンションで時と場所を構わず思いつくままに口説き文句を垂れ流すほうが久遠らしいだろう。

一方のあすかには適当に言っているだけの久遠の口説き文句など、「ガン見?」「仕事ですから」のノリで、基本あっさりと聞き流して欲しい。
チャラ男を演じている久遠にとって絶対に落ちない女あすかは気楽な相手にちがいない。
やや色気に欠けるコンビではあるがストーリーの牽引役としては最適なコンビだ。


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第一話:被害者一家と伊達・久遠・あすか

伊達の回想と夢で伊達の子供時代の出来事がある程度明らかにされた。

両親を助けようとヤクザの男に包丁を向けた幼い伊達は「殺せるものなら殺してみろ」という男に怯んで立ちすくむ。男は薄ら笑いで伊達の両親を殺し「おまえが俺を殺さなかったからおまえの両親は死んだ。おまえのせいだ」「悪を倒すには悪になるしかない」と嘯く。
その後両親の遺体をコンクリート詰めにする男を包丁で刺し殺すシーンがあるが、それが現実か伊達の願望が見せた夢であるのかどうかは今のところわからない。

今回の被害者が7才の少年だったのは、伊達が少年時代の出来事を回想するのに合わせたものだろう。
子供時代に感じた怒りと悲しみが、無残に殺された少年とその両親の慟哭によって呼び戻される。「どうしても殺したい相手がいたらどうするか」、その問いに井筒は「殺したら人間でなくなる」と答える。
伊達の両親の事件を知る井筒の言葉と考えると、井筒は伊達の温厚な笑顔の下にある抑えがたい怒りと殺意を感じ取っているのかもしれない。

今回伊達は凶悪犯を殺さなかった。それは殺したい欲求をギリギリで抑えた結果なのか、それとも最初から殺さないで島送りにする予定だったのか。もし最初から島送りにするつもりだったのなら二面性も葛藤も大して必要ではないだろう。

凶悪犯を撃った後、伊達が遺族に何らか報告をしているのも謎だ。遺族が新しい一歩を踏み出そうと決意し、伊達によろしく伝えて欲しいと深々と頭を下げているところをみると、伊達は遺族が納得いく形で犯人が罰せられたことを伝えているはずだ。

もし犯人は殺しましたと担当刑事から連絡を受けて、殺してくれてありがとうと遺族が深く感謝したのだとすれば、その遺族もかなりおかしな感覚の持ち主である。それまでの慟哭を見ても、この遺族は子供を深く愛していた普通の両親だ。普通の両親が納得いく形の処罰であればそれは合法的なものだろう。

「犯人の父親が検察の偉い人なので表立っては裁けませんが、ここだけの話警察には裁判なしに処罰を与えることが出来る裏の組織があるんですよ。犯人はそっちに送っておきました。あ、この話は誰にも言わないで下さいね」なんて報告であれば遺族も受け入れられるかもしれない。
しかしもしそんなもんが警察にあったら恐ろしい話だ。法が人を裁くのではなく、まさに人が人を裁くことになる。いわば組織ぐるみの私刑だ。そこに正義などない。

そのことを伊達は重々承知していながらも凶悪犯への激しい怒りを押えきれず、結局組織ぐるみの私刑に加担してしまい思い悩む、というのであれば展開としてまあ理解出来なくもない。しかしそれであれば初回に登場すべきキャラクターがもっといる筈だ。

最初から伊達が凶悪犯を殺すダークヒーローだったなら、堺は伊達一義を二面性も狂気もそなえた底のしれない刑事として演じただろう。しかし第一話に登場した伊達は人としての等身大の感覚を持つ感性豊かな男だった。

正直初回にして無法の番人としての伊達一義というキャラクターがドン詰まった印象があるが、ここは謎の多い久遠に活躍してもらって活路を開くのが一番てっとり早い。


初回ではバックボーンについて全く触れられなかった久遠だが、錦戸はストーリーラインの邪魔にならない程度に上手に久遠の内に秘めた怒りと底知れなさを匂わせてみせた。

捜査一課で「凶器は改造銃だとわかったが銃の特定は難しい」と零している頃、すでに久遠は凶器と同程度の殺傷能力を持つ改造銃を作り上げ、威力の確認と犯人の心情にまで迫っていた。

「満くん的にされてたんだよ。改造銃の威力を試すためにね。頬に泣いた跡が残ってた。怖かったろうな。どんなに泣き叫んでも、誰も助けてくれなかったろうし。…殺してやりて」

どんなに泣き叫んでも誰にも助けてもらえずなぶり殺しにされる子供の光景が、久遠の中に潜む何かに触れたのだろう。まだ容疑者も現れていない捜査の初期段階、警察官であれば「絶対に捕まえて法の裁きを受けさせてやる」というべきシーンで、久遠は犯人を「殺してやりたい」と言った。

伊達やあすかに比べて出番の多くなかった久遠だが、この「…殺してやりて」の一言で彼の中に潜む冷酷さと凶暴さを垣間見ることができる。
もしかすると久遠自身、被害者の少年のようにどんなに泣き叫んでも誰も助けに来てくれなかった経験をしているのかもしれない。

伊達の秘密に関してもおそらく久遠は気づいてしまっただろう。
鑑識課のはみ出し者ではあるが恐ろしいほど優秀な鑑識官久遠が、最後の現場で伊達のボタンを見つけて何も気づかない訳がない。
今回の神隠しに伊達が関わっていることを知った久遠がどう出るか。
どうも伊達と同じように私刑を行うようになる気がしてならない。もしかすると久遠は伊達が越えなかった一線をも越えてしまうかもしれない。

もし久遠が伊達と同じ道を歩む決心をするのであれば、久遠の心の傷も伊達に劣らぬ悲惨なものであると想像出来る。久遠については回を進めるごとに少しづつ明らかにされていくことだろう。
久遠がどう動くのかがこのドラマの面白さのひとつになる筈なので、視聴者が感情移入できるようなリアリティを持った役に育てて欲しいものだ。


被害者の少年に何かを重ねる久遠に対し、あすかは遺族の心情に自分の過去を重ねていた。
刑事で伊達とコンビを組んでいた兄夏樹が殺害された後の壊れていく家族の苦しみと悲しみを思い出し、遺族のために早く犯人を捕まえたいと願うあすかは、非常に真っ当な感性を持った刑事だった。

夏樹はなぜ殺されたのか、それに伊達はどう絡んでいたのか、2人と同期の来栖や伊達の恋人だった冴子が夏樹の死にどのような感情を抱いたのか、まだ何もわかっていない。
もしかするとそこにも伊達や冴子達の心に深い傷を残したような何かがあるのかもしれない。

あすかが兄の死についてどれだけ知っているのかはわからないが、いずれにせよあすかは兄の遺志を継いで刑事として生きることを決めた。その夏樹によく似たまっすぐな性格を伊達も井筒も微笑ましく見守っている。

あすかのまっすぐさが伊達や久遠にどう響くのか、それもドラマの見所のひとつだろう。


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第一話:正義とは何か

このドラマで何よりも気になるのは「正義とは何か」という哲学的なテーマを掲げたにも関わらず、脚本には非常に陳腐な思想しか現れてこないことだ。

第一話に関して言えば、立て続けに動物や幼い子供を改造銃でなぶり殺しにした挙句、謎のメッセージキューブと血の付いた遺品を遺族に送りつけるというイカれた犯人を追い詰めるも、親が検察のお偉いさんだったため圧力がかかり不起訴になる、というとくだりにそれが現れる。

そもそも社会不安を生む派手な凶悪殺人鬼が、検察のお偉いさんである父親の力だけで不起訴になるというところにリアリティがない。

政治家や企業家など独自で築いた権力をバーターに出来るならともかく検察官というのは所詮公務員だ。
上に上りつめようとすればするほど出世競争が激しくなり派閥の力学が大きく働くようになるので、階級が上の人間であればその力学を個人的利益のために利用しうる余地も生まれるという話に過ぎない。

しかし、仕事上で一度でもミスをしたら出世コースから外されて二度と元のコースには戻れないという官僚の非情な不文律から隠蔽体質になり「お互い様」の阿吽の呼吸が出来上がっていることは事実としてあるだろう。

今回の凶悪犯のように事件を隠しおおすことが難しいようなケースでは隠蔽工作自体が自分たちの首を締めることになりかねない。隠蔽を指示した方も同じことだ。隠蔽体質や「お互い様」思想は出世というエサの前にこそ生きるものであり、今回のケースはリスクがエサのうま味を越える。
視聴者がリアリティを感じられるラインとしては、事件発覚前に父親が退職金を満額貰って退職してこっそり天下り、マスコミには検察のお偉いさんの息子であることは報道しないよう箝口令といったあたりだろう。

現場を取材したとは到底思えないリアリティのない脚本にも関わらず、冒頭に「この作品はフィクションです。しかしこれをだたの作り話と受け取るか、現代の闇と捉えるかは貴方に委ねます」という文章を流すのも、脳内の敵と戦っている中学生のようでどうにもこうにも恥ずかしい。

正義を語るなら諸悪の根源である隠蔽体質に毅然とNOを叩きつけることこそが正義だ。
そしてそのことにより、隠蔽しようとした父親は社会的に裁かれ、息子が有罪となって刑務所の中で厳しくて惨めな服役生活を送る姿を見せることこそがカタルシスではないだろうか。

現にアメリカのドラマでお偉いさんの権力乱用をエピソードに組み込む場合はそのような展開になることが多い。
その結果として主人公の身近な人間が代償を支払うことになったとしても、正面から立ち向かい、痛みを受け入れながらもあるべき社会正義を実現しようとするからこそ「正義とは何か」という問いが生きるのだ。

ところが本作では上司の井筒、主人公の伊達、同僚の刑事たち全てが、簡単に権力乱用に従ってしまった。そんなことは許せないと井筒に直談判したあすかも結局のところ上司に逆らわず諦めてしまう。
彼らはそろって巨大な組織の理屈に振り回される被害者のような面持ちであったが、自浄作用が働かず隠蔽体質を肥大化させてしまっている責任の一端は、その組織の中にいる井筒にも伊達にもあすかにも確実にある。

保身のために立ち向かうべき相手に立ち向かわず「正義の味方」や「神隠し」を期待させた時点で脚本は社会正義というカタルシスを捨ててしまった。
ジョーカー(伊達)は社会正義のカタルシスを視聴者に与えるために暗躍する小気味良いジェスター(宮廷道化師)ではなく、個人的に許せないと感じた相手を罰を与える私刑人でしかなくなった。

個人的な仇討ちを認めない法治国家における私刑は結局のところ正義ではありえない。
法の上で人が人を裁くこと、社会的に裁かれることと、個人的な義憤で人が人を法を越えて裁くことは根本的に異なるのだ。
「正義とは何か」というテーマで脚本家は「酷い奴なら私刑したって正義」と主張したいのかもしれない。逆に1クールかけて「酷い奴だからって私刑していい訳じゃないよね」という多くの人が当たり前に感じていることをわざわざ伝え直したいのかもしれない。いずれにしても幼稚だ。

脚本は視聴者に私刑によるカタルシスを与えるために、こんなに遺族は悲しんでいるんだよ?犯人はこんなにイカれた最低最悪のヤツなんだよ?なのに君たちが持っていない権力というもので不当に守られてて泣き寝入りするしかない。こんなヤツ私刑にしちゃってもいいと思わない?というメッセージを送り続けた。

ジョーカー伊達は法から逃れた犯人を銃で撃ち必殺仕事人よろしく被害者の仇をうった。
気分が悪くなるほど送り続けたメッセージのおかげで、命乞い虚しく撃たれた犯人の姿にある種の爽快感を感じた人もいたかもしれない。
しかし犯人は殺されてはいなかった。おそらくは島流しか何かなのだろう。主人公をただの殺人者にしないための演出だろうが、必殺仕事人的な爽快感を感じていた視聴者は肩透かしを食らわされた気分だったに違いない。

これが、島流しの先には特殊刑務所があって伊達はそこに凶悪犯を送り込む合法的な捜査官だった!みたいなオチだったら最悪だ。もしそれがオチなら最初から島流し捜査官チームの話にしてしまったほうがまだ個性派の役者陣が活きただろう。
私刑ならいっそ伊達をただの殺人者にしてしまって、ハッピーエンドにはならなくても私刑と正義について追求したほうがドラマとしては深みが出た。

第一話で脚本自ら色々と退路を絶ってしまった感があるが、今後の展開で大化けさせることを期待したい。


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第一話:感想

主演の堺をはじめ上手い役者を揃えたことが功を奏して最後まで飽きずに見れた。話のテンポもいい。今クールは初回から期待外れ感が漂うドラマが多いが「JOKER」は今のところ合格ライン。
ただし脚本についてはイマイチ。役者も役を探っている印象がある。

捜査一課課長井筒将明役の鹿賀丈史は上手く含みをもたせて演技していたが、今後どう転がるかわからない主人公伊達一義役の堺雅人や、ストーリー展開の鍵となるであろう鑑識官久遠健志役の錦戸亮、鍵となるのかどうかもわからないバーのマスター三上国治役の大杉漣、伊達やあすかの兄と同期である刑事来栖淳之介役の平山浩行ら実力派俳優陣が、脚本を通じて役の心情にいかに早く入り込めるかがドラマ成功の鍵となるだろう。

逆を言えば彼らが役の言動に違和感を感じるような脚本では成功はしないということだ。
今回特に主人公役の堺にその違和感が見て取れた。その違和感を巧みに包んで演じたところは流石としか言いようがない。


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