2010年8月10日火曜日

第四話:感想

 
脚本は今回が一番良かった。
演出も余計なドタバタや効果を入れようとせず、役の心情を引き立たせることに注力していたことに好感がもてた。

このドラマは、「事件発生」(起)-「犯人特定」(承)-「立件不可」(転)-「闇の制裁」(結)という非常に明快な展開をベースとしている。
「水戸黄門」でも観るように視聴者は最初から展開がわかっているわけだ。

毎回陰惨な事件が起こり、遺族の悲しみ苦しみを目の当たりにしながら、伊達たち捜査員は犯人を特定して立件すべく全力を尽くす。
なのに立件を目の前にして何らかの理由で立件を諦めざるを得なくなる。犯人は被害に合うほうが悪いとでも言いたげに高笑い。そうして遺族や捜査員の悔しさが頂点に達したとき、闇の制裁人が犯人に無法の裁きを与えにやってくる。
視聴者は捜査員たちと同じ気持ちになって憤慨し、闇の裁きによって悪いヤツは罰を受けるんだというカタルシスを得る。それがこのドラマにおける「事件のストーリーライン」の在り方でもある。

しかし1~3話までこのカタルシスを与える展開が上手く機能していなかった。
最大の理由は「立件不可」(転)があまりにも練られていなかったせいである。

第一話の「立件不可」の理由は「容疑者の父親が検察のお偉いさんだったから」。
これについては「第一話:正義とは何か」で既に触れた。
実際のところ警察よりも検察が力を持っていることは事実だが、動物殺しがエスカレートして子供殺しにまで至った殺人鬼が、親が検察の上層部にいるという理由だけで無罪になったという展開にはあまりにも無理がある。
奇しくも、森元総理の長男で県議会議員だった祐喜氏が酒気帯び運転でコンビニに突っ込み逮捕されたばかり。現実はこんなものだ。

第二話の「立件不可」の理由は「自白が取れなかったから」。
伊達の48時間耐久取調べは面白かったがストーリー構成自体がまとまりきっておらず、テンポのいい演出と役者の演技力で上手くカバーされてはいたものの、内容はピントのぼけたものになってしまった。
この回で見せたかったものは「犯人は判っているのに証拠も自白もなくて逮捕出来ないやるせなさ」や「失火の疑いで世間から責められる遺族と被害者の関係」、「違法捜査や別件逮捕による取調べに対する伊達・久遠・あすかのスタンス」といったところだろう。
プロットが沢山浮かぶのはいいことだが、医療ミス云々のくだりはいっそカットしてしまったほうが構成にまとまりも出た。

第三話の「立件不可」の理由は「証拠がなかったから」。
山原が死亡推定時刻を操作した証拠となる断熱カーテンは既に焼却されてしまい、捜査本部の設置も却下され、井筒からこの事件は心中事件として処理すると宣言される。ただし第三話の場合、起承転結の「転」は「立件不可」よりも「久遠の暴走」に置かれており、「事件のストーリーライン」から「ジョーカーのストーリーライン」へのクロスが見られる。
第一話から積み重ねられた「繰り返しの暴力で人の心を踏みにじる人間が許せない」「そんな奴が捕まえられずにのうのうとしていることが許せない」という久遠の激しい感情のクライマックスを「転」に持ってきたことで上手くカタルシスを得られる流れに持ってこれた。
しかしこれは「第三話:感想」でも書いた通り、久遠役の錦戸と伊達役の堺の演技力による成果に他ならない。

このドラマのように起承転結の「転」に「立件不可」がくるパターンの場合、2話や3話のように「証拠も自白も取れなかった」というケースが多くなるだろう。

トラディショナルな刑事モノでは「転」に「加害者の感情の発露と自白」が来るので、加害者がなぜそんなことをしたかにさえ説得力があればストーリー構成は難しくない。
時代劇であれば「転」に「手詰まり」を持ってきても、その時代は理不尽なことがまかり通っていたという視聴者との共通認識さえあれば、手詰まり感はどうとでも演出出来る。
現代劇であっても警察組織を離れたアウトロー達の話にしたり、主人公たちが警察官であっても潔くリアリティを切って警察内の闇組織にすれば、まだいくらでも楽な持っていきようがあった。

しかし「ジョーカー」では主人公達の主たる仕事はあくまで正規の警察官としての仕事であり、冒頭でのメッセージにもあるようにフィクションでありながらリアリティを売りにしようとしている。最初から脚本のハードルを上げてしまっているのだ。
であれば「闇の仕事」(結)は現実にはありえない設定でも、それに向けた「事件発生」(起)から「立件不可」(転)に向けた流れに刑事モノとして十分なリアリティを持たせなければ、「転」の盛り上がりも「結」の説得力も成立しなくなってしまう。

「ジョーカー」ではそれを補助するファクターとして警察の権威主義や隠蔽体質、事なかれ主義を盛り込み、そこにリアリティを持たせたいようだが、これも説得力ある「事件のストーリーライン」あってこそ。
井筒役の鹿賀の演技が孤軍奮闘でこのあたりの暗部を想像させる余地を作っているが、このドラマの肝がこの警察の暗部によるものであれば、明らかに登場人物も伏線も足りない。

第四話の事件は前三話と比べると「立件不可」(転)に持って行く流れが非常にスムースだった。
その要因は「立件不可」(転)の要因が「証拠も自白も取れなかった」からではなく「心神喪失で無罪判決が確定していた」ためだ。
11人もの死傷者を出した無差別殺人事件で検察が控訴を断念し地裁レベルで無罪確定となったというところにはリアリティがないが、to be continuedである今回の場合、これも伏線の一つである可能性もあるのとりあえず置いておく。
現行法では無罪が確定してしまった以上、たとえ判決が間違っていても一事不再理効で訴追は出来ない。法律上そうなっているのだから視聴者も「転」への流れに納得しながら観ることが出来る。
こういった「証拠も自白も取れなかった」以外で視聴者が納得しやすい「転」のケースは他に、「公訴時効」「犯罪者引渡し条約のない国の犯人が自国に逃亡」「地位協定によって十分な捜査が出来なかった」などが挙げられる。

今回は演出上も心神喪失を装う犯人椎名と、それを見抜いている伊達の化かし合いが効果的に演出されていて、第二話の犯人との心理戦以上の面白さがあった。
映画「タクシードライバー」のデ・ニーロを思い起こさせる、バックミラーに映る人の心の奥まで覗き込むような伊達の視線。心神喪失でなくても狂人には違いない犯人。
to be continuedへ向かう畳み掛けるような演出も非常に効果的で、次回に向けての高揚感が十分に高まった。

このドラマでは主要キャストにいい役者を揃えているだけでなく、毎回のゲストにも玄人好みな役者をキャスティングしている。今回の犯人役の窪田正孝も、被害者の父親役の甲本雅裕も非常に上手く観ていてあっという間に時間が過ぎた。
中には第一話の小市慢太郎のように演出ミスで役者の良さや上手さが十分に伝わらなかった場合もあるが、細田よしひこ、今井悠貴、鈴木浩介、黄川田将也など、それぞれが視聴者をドラマの中に引きずり込む素晴らしい演技をしていた。

一方で少々残念だったのは杏とりょうだ。
りょうは冴子という役を確実に掴んできているが、いかんせん鹿賀丈史に負けてしまっている。冴子は井筒を追い詰めていく役なので、ぜひとも鹿賀に負けない力を発揮して欲しい。

杏はここにきて役者としてのキャリア不足が響いている。
出番の多くは、堺、錦戸、鹿賀と絡んでいるが、この3人は天性の役者だ。息をするようにその役を演じ、ほんのワンカットで場を自分のものにすることが出来る。錦戸の演技が堺や鹿賀とのシーンを重ねる毎に水を得た魚のように良くなっていくのは、彼が堺や鹿賀と似たタイプの役者だからだ。
役を作って演技をするタイプの役者でも場数と演技の巧みさがあれば、堺たちのような役者の演技を逆に自分のために活かして自分の見せ場を作ってみせるものだが、杏はすっかり呑まれてしまって、それっぽい宮城あすかを演じているだけになってしまった。
回を追うごとにドラマの中の役も成長していくが、あすかは毎回毎回同じあすかでふとした表情や台詞回しにも変化が見られない。
台本に書いてある通りに演じるという意味ではまあ合格点だが、あのキャストの中ではどうしても見劣りしてしまう。伊達の教えひとつひとつに確実に成長していくあすかを見せて欲しい。

「ジョーカーのストーリーライン」については、三上の過去と三上が伊達をどのように思っているか明らかにされた。また昔の井筒と今の井筒の変化も仄めかされている。
伊達に文句を言っているばかりの来栖も伊達を嫌っているわけではなく、刑事らしい正義感を持った人間臭い男であることが見えてきた。吠えるタイプの刑事としては堀田と被ってしまっているが、今後堀田ももっと肉付けがされていくだろう。堀田役の土屋がどんなときにも堀田を丁寧に演じていることには非常に好感が持てる。轟も3人の中では後輩でやや神経質そうなカラーが出てきた。

前回闇の制裁者の仲間になった久遠は今回もいい味を出していた。
伊達を息子のように思ってきた三上が、久遠のことも息子のように思うようになるにはまだ時間が掛かるだろうが、久遠が伊達や三上を誰にも内緒のファミリーのように慕いはじめているのはよくわかるし、闇の制裁者としての仕事にも意義を感じてハマりつつあるのもよく伝わってくる。

纏っていた鎧を解いて助けを求めた久遠を受け止めた伊達も、次第に久遠に正直な心情を見せ始めている。
ただし「こんな思いをするのは自分だけでよかった」と吐露する伊達に「俺も普通じゃないから」と答える久遠との間にはまだ認識のギャップがあるだろう。
久遠の両親についてはまだ触れられていないが、おそらく久遠の目の前で殺されていると思われる。例えその点では同じであっても、久遠は伊達が犯人を殺すつもりで刺したことを知らない。
久遠は伊達が闇の仕事をしているのは、両親を目の前で殺されたことが原因だと思っているだろう。その上で「自分も同じ境遇だから巻き込んだなんて思わなくていいよ」と言いたいのだと思う。

椎名を制裁する場面で、久遠は伊達が制裁を行うときの表情をはじめて見て、伊達の目に悲しみが宿っていることをいとも簡単に見抜いた。
これからも久遠はその観察力と頭の回転の早さで本当の伊達を明らかにしていくだろう。そして伊達も久遠の前では張り付いた笑顔の仮面を維持出来なくなっていくに違いない。

さて、最後に犯人椎名が最後に残した言葉だが、彼の持っていたコインが両面表だったことが伏線になっていると思われる。
伊達たちの仕事は、表が警察官、裏が闇の制裁者。椎名についているのは表の警察組織そのものなのかもしれない。
検察が控訴を断念して地裁レベルで無罪確定させたのも、闇の制裁者が狙ってきそうな凶悪犯を泳がすことが目的だったのかもしれない。
そのあたりは第五話で多少でも明らかになるのだろうか。

ちなみにコインに書いてあった文字はCRISTINA FERNANDEZ DE KIRCHNER」。
クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル、現アルゼンチン大統領の名前だ。
なぜ彼女の名前を使ったのかはわからないが、あまり本編には関係なさそうだ。

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