2010年8月3日火曜日

第三話:感想

今回はとにかく錦戸と堺の演技力に救われた回だった。

このドラマには2本のストーリーラインがある。一つは一話完結型の「事件のストーリーライン」、もう一つはシリーズ全体を通した「ジョーカーのストーリーライン」だ。
前者の事件のストーリーラインは回を追うごとに甘くなっており、第二話終了あたりで既に離れている視聴者も多くいると思われる。今残っている視聴者の多くが注目しているのは後者のジョーカーのストーリーラインだろう。

第三話ではこのジョーカーのストーリーラインが大きく動いた。
前回ラストで伊達の正体を突き止めた久遠が、今回ラストで伊達の仲間になった。
構成上、時間の多くは事件のストーリーラインに割かれてしまうので、堺と錦戸はそのときどきの伊達と久遠の心情の移り変わりを短いシーンやカットで的確に表現しなければならない。

つたない脚本家だとこの心情の変化そのものを台詞にしてしまうところだが、そういった台詞を伊達と久遠に与えなかったことは評価出来る。
そのぶんストーリーの説得力は堺と錦戸の演技力に委ねられてしまうが、脚本もそれだけの信頼を堺と錦戸に寄せているということなのだろう。現にその期待に堺と錦戸は十二分に応えていた。

伊達の闇の制裁の現場を突き止めた久遠の狂気すら感じさせる笑顔と、何の感情の揺れも感じさせない冷たい表情の伊達から第三話は始まった。
新しいおもちゃを見つけた子供のように好奇心たっぷりで「自分も仲間に入れろ」と脅しを掛けてくる久遠に伊達は取り付く島もない。

伊達は闇の制裁を必ずしも正しいこととは思っていない。
闇の制裁者になったいきさつも心情もまだ明らかになっていないが、人を刺したのに罪を逃れてしまった自分は他の人間と違うと伊達は感じており、そんなことに久遠を巻き込みたくないと思っている。
バレてしまって色々と纏わり付いてくる久遠を「厄介なヤツにバレた」とは感じていても、久遠自身を拒絶しているわけではない。

基本笑顔が張り付いたままの伊達だが、そのときどきの表情のリアクションで様々な感情を伝えてくれる。
久遠の頭の良さと実力を認めているからこそ、久遠が何かの行動を取ったときには警戒をする。とはいえ久遠が自分を逮捕するとも思っておらず(いっそ逮捕してくれていいと思っているのかもしれないが)、自分の闇の仕事に異様に関わりたがる久遠に何か事情がありそうだとも感じている。
このあたりの堺の演技が抜群に上手い。

一方の錦戸も堺に一歩も引けを取っていなかった。
久遠の痛ましい過去を知った伊達は久遠を仲間に入れるのだが、ここの伊達の心情の変化に視聴者が共感出来なかったらドラマ自体が終わりだ。ここでは伊達の決断に説得力を持たせるだけの錦戸の演技が求められた。

第一話から錦戸は目立ちすぎない程度に久遠の闇を視聴者に予感させてきた。
人の痛みがわからない下衆野郎は殺してやりたいという凶暴性と危うい狂気、その裏に見え隠れする寂しさと絶望感。それに伊達は気づきやがて久遠を受け入れる素地となっていく。

揺さぶりを掛けても乗ってこない伊達に久遠の興味は高まっていく、また一方で、今回の被害者の体中に残った痛ましい痣が久遠の怒りを駆り立てていく。
伊達の両親がヤクザに殺されていることを調べあげた久遠は、その事件が伊達の制裁者としての顔を作り上げたのかもしれないと井筒に聞き込みを行う。

この時点までで久遠の中にあったのは「伊達自身」と「伊達の闇の仕事」に対する好奇心でしかなかった。しかし井筒から「伊達の両親は伊達の目の前で殺された」と聞いた瞬間、久遠の中の何かがはじけた。ここから先の錦戸の演技は絶品だった。

凶暴性や狂気、好奇心、チャラ男の仮面を纏ったまま、伊達に救いを求める心が久遠の全身から滲みはじめる。しかし伊達はまだそれに気づかない。
伊達に「君を相棒にするつもりはない」ときっぱり拒絶された久遠は、犯人を拉致して自白を強要するという暴挙に出る。無論それが警察官として間違った行動であることは承知の上で、久遠は伊達に何かを判ってもらおうとしていた。
しかしこの時点では伊達は久遠のとんでもない行動に呆れているに過ぎない。

伊達の心情が大きく変化したのはこの後だ。
余裕綽々で尋問を始めた久遠だったが、予想外のところから久遠が隠し続けてきた悲惨な過去が曝されてしまった。

久遠の背中に残った酷い虐待の痕に気づいた犯人は、久遠の心を土足で踏み荒らしナイフのような言葉で切り刻み始めた。最初は対峙しようとした久遠だったが、容赦なく傷を抉られる痛みに感情を隠しきれなくなっていく。
いきなり虐待の傷痕のことに触れられて内心で動揺し、「下衆野郎の被害者」「身体だけじゃなく心にも深い傷を負ってるんだよな」と畳み掛けられて怒りよりも先に恐怖を抱いてしまう。
親に虐待されたのかと吹っかけられて僅かに奥歯を噛んでしまい犯人に一番知られたくないことを知られ、親に虐待されたことを嘲笑われて悲しさに虐められた子供のように目に涙を浮かべてしまう。
コンプレックスの塊だと言われて気持ちを奮い立たせて言い返してみても、傷つけることを楽しむように威圧的に「強がんなよ」「怖いんだろう」「他の奴らと違うことに怯えてるんだろう」と切り替えしてくる犯人に悔しさで泣き出す寸前になってしまう。
そして「親に仕返しも出来なかった弱虫」と罵られて、とうとう犯人を殴りかかってしまう。

この間、久遠には台詞も動きも殆どない。
しかし錦戸はごくごく僅かな表情のこわばりや視線の下がり具合、瞳の潤みなどで、久遠の背負った心の傷の深さを表現してみせた。これはドラマが始まって初めて見せる久遠の素の姿でもあった。

PCの画面から一部始終を見ていた伊達は久遠の痛みを感じ取って顔を歪ませ、追い詰められた久遠が犯人を殴りはじめるのを見て久遠を止めるために席を立った。はじめは早足だったのが走りだしてしまうところで、伊達の焦りが上手く表現されている。

伊達が久遠の元に辿り着いたとき久遠はまだ犯人を殺してはいなかった。久遠の背中には虐待の酷い傷痕が浮かんでいる。伊達はその傷痕だけで久遠の心の傷の深さを察したことだろう。
「罪を罪と思っていない奴が許せない、悪人を捕まえられない世の中が許せない」と叫ぶ久遠に、伊達は「君のやり方は間違っている」と諭す。
「わかってるよ。でもあんたには知ってもらいたかった」という久遠の涙混じりの言葉からは、控えめで、それでいて必死な伊達へのS.O.S.が感じられる。
久遠が伊達にわかってもらいたかったのは、この犯人のような人の痛みが分からない悪人がいることなのか、それともこのような悪人に傷つけられたままになっている人間がいることなのか…。

そして犯人の被害者に対する無慈悲な言葉に逆上した久遠の、血を吐くような悲痛な呻きで場面はクライマックスを迎える。
「おまえに殴られても蹴られても、それでも耐えてた彼女の気持ちがわかるか?わかるわけねえよなあ!」
犯人の眉間に銃口を突き当てる久遠の怒りと悲しみが煮え立って殺気に変わっていく。
久遠が犯人に見ていたのは被害者の悲しい姿だったのか、別のものだったのかはわからない。その怒りが本当にこの犯人に向いたものだったのかすらもわからない。

久遠の箍が外れかけた瞬間、伊達は体当りをして久遠を止めた。
「殺しちゃいけない。終わりのない苦しみを与えるんだ。被害者たちのように。こいつに明日は来ない」
ゆっくりと諭す伊達の背で俯く久遠の心に去来するものは何だったのか。本当に殺したかったのか、止めて欲しかったのか。それもまだわからない。

いつものチャラ男の仮面をすっかり剥がされ、心を剥き身にされてしまった久遠は、何の鎧も纏わずに伊達に向かって助けを求めた。
涙を浮かべて、自分も普通じゃない、どうにかなってしまいそうで苦しい、と訴える久遠には、溺れる者が藁にも縋るような必死さが窺われる。一方でどこかで「それは藁だ」と判っているような諦めも見て取れる。
伊達が机を開けるために後ろを向いたときも、久遠はそれ以上伊達に縋るわけでなく、やっぱり駄目だったという表情で目を伏せただけだった。伊達が最初の仕事だと通帳を渡したときも、喜ぶより困惑のほうが先に立って、じっくりと伊達の言葉の意味を噛み締めているようにみえた。

伊達が久遠に感じていた狂気や危うさ、久遠が背負っている心の傷、それらはやがて伊達の仕事の足を引っ張ることになるのかもしれない。
しかし伊達は誰からも手を差し伸べられずにきた久遠の捨て身のS.O.S.を受け止めた。
それはかつて三上が子供だった自分に「おまえが苦しんでるなら、痛みを抱えてるなら、俺が一緒にせおってやる」と手を差し伸べてくれたことも関わっているのだろう。

もしかしたら久遠の暴走が伊達の命運を左右するようなことも起こるかもしれない。そしてそれは久遠の命運をも左右することになるのかもしれない。
何にしてもここまで説得力と余韻を残した堺と錦戸の演技の確かさには賞賛の言葉しか浮かばない。

今回「ジョーカーのストーリーライン」が素晴らしかったのに対して「事件のストーリーライン」は内容も演出もリアリティに欠けるものだった。「事件のストーリーライン」自体の甘さに関しては後で書くことにして、ここでは演出について触れたい。

第一話・第二話も事件のストーリーラインにはツッコミどころ満載だったが、演出の上手さでうやむやにしていたところがあった。今回の演出もテンポはいいし、少し笑いも入れて、ポイントになる部分は判りやすくという方針は理解できる。
しかし、細かな積み重ねによって生まれて些細なことで呆気無く崩れるのがリアリティというものだ。今回はその辺りに手を抜いたという印象を強く感じた。

例えば、被害者家族がまったく貧しいように見えない。
父親が倒れて収入がなくなり病気なのに手術も受けられず、被害者が風俗で働いて両親の生活費と手術代まで稼いでいたという割には、両親の暮らし向きは裕福に見える。
被害者が暮らすアパートもさっぱりと小綺麗で、被害者にも崩れた感じがない。

もちろん、被害者が売れっ子だったので両親の暮らし向きも良かったとか、被害者は風俗に務めていても崩れたところが一切ない聖女のような女性だったとか、裏設定を作れば切りがない。しかしそれらの演出がストーリーラインで活きない以上、単にリアリティを削ぐだけだ。

もしかするとこれらは「死亡時間のトリックに高価な断熱カーテンを使う」という脚本に引きずられたものなのかもしれないが、であれば父親の身体の負担のために粗末な家に不釣合な断熱カーテンがあるというほうがリアルだ。
また両親の悲痛な叫びも、こんな最低の生活ですら娘に夜の商売をさせてそれに見て見ぬ振りをしなければ送れない不甲斐なさと、みすみす娘を死なせてしまった無念さが、ストーカーを止められなかった警察に向いたとしたほうがより切ない。

久遠が犯人を拉致した際にシャツを脱いだシーンにも必然性が感じられなかった。
あすか達が部屋に来たときにも慌ててシャツを着ているくらいだから、久遠は人前でシャツを脱いだ状態でいることに多少なりとも躊躇いを持っているだろう。
暴力の脅しをかけるために相手を睨みつけながらシャツを脱ぐというのはいかにもマンガだ。

しかも犯人は肩越しに覗く僅かな傷痕でそれが虐待によるものだと見抜いた。
久遠と犯人はずっと向かい合っているので犯人から背中は見えない。肩口から覗く火傷痕など、事故か何かで出来たものだと考えるのが普通だろう。
ただし久遠の傷痕は背中側から見ると虐待の痕であることがよくわかる。境目のはっきりした大きな火傷痕はアイロンを押し当てられたもの、その隣の丸い火傷痕はタバコの火を押し当てたことによるものだろう。
これは犯人が久遠の背中を見て虐待によるものだと見抜いたという演出が正しい。

であれば最初から拉致した現場を、最初から非常に温度が高い設定にしてしまうと方法もある。
猛暑のシーズン、外に気づかれないよう閉めきってクーラーも止めた理科室、熱気がこもった緊迫した空間。そこであれば暑さで久遠がシャツを脱いでも、暑さで少々集中力が切れて犯人から視線を外して横を向いてしまっても不自然ではない。

ついでにいえば、冒頭で伊達が久遠のみぞおちを殴るシーンも、伊達が久遠の拳銃を掴むシーンももう少し臨場感が出るように演出したほうが良かった。カメラアングルも全体的に学園モノやラブコメのようで、一話二話にはあった緊迫感に欠けていたように思う。

「ジョーカー」がどの方向に進みたいのかいまひとつ掴みかねる部分があるが、冒頭の注意書きのように事件にリアリティを持たせたいなら「事件のストーリーライン」に推理モノが得意な脚本家を追加するべきだ。
もし「ジョーカーのストーリーライン」で持って行きたいならキャラクターの心情を深く掘り下げて脚本を作り上げ、その理解を俳優と共有していく必要があるだろう。このドラマにはそれを十二分に活かす俳優が揃っている。
全体のリアリティを増したいならジョーカーの世界とキャラクターを熟知した演出家が、細かなところも含めてしっかり演出していく必要があるだろう。

今後に更に期待したい。


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